豊中市・豊中球場跡に建つ
メモリアルパーク

碑文
 右側の社告は、大正4年
(1915)、第1回全国中等
学校優勝野球大会を豊中
グラウンドで開催するにあ
たって大阪朝日新聞に掲載
された社告である。中央部
のブロンズレリーフは当時の
朝日新聞社村山龍平社長の
始球式姿で、まさに歴史的な
第1球といえる。村山龍平翁
は「青少年を育てるスポーツ
としての野球を」という立場
から大会開催を決断した。
これが今日の高校野球の
精神として受け継がれて
いる。大会は8月18日から
23日まで全国からの代表
10校が参加して開かれ、
優勝は京都二中が手にした。
 第2回大会は12校が参加
して大正5年8月16日から
20日まで開かれ慶応義塾
普通部が優勝した。翌年の
第3回大会から舞台は西宮
の鳴尾球場に移ったが、
豊中グラウンドは野球史上
に大きな足跡を残した。
豊中グラウンドの沿革  この豊中グラウンドは大正
2年(1913)5月1日、綿畑
などであった140M四方、
面積19600平方Mの土地に
箕面有馬電気軌道(現在の阪
急電鉄)によって建設された。
周囲は高さ1M余の赤レンガ
塀で、木製の観覧席のほかに
応援団席もあり最高の施設
だった。その後住宅地として分
譲され、このメモリアルパーク
は当時のグラウンドの正門前
である。豊中で始まった全国
中等学校優勝野球大会は昭
和23年(1948)の第30回
大会から全校高等学校野球
選手権大会と改称され、歴史
を重ねて今年70回大会を迎
えた。これを記念してメモリア
ルパークを建設し「高校野球
発祥の地」として永く保存する
ものである。

昭和63年(1988)8月1日
日本高等学校野球連盟
朝日新聞社、豊中市