天勝野球団


プロフェッショナル宣言

小野三千麿に代わり天勝野球団に参加した鈴木関太郎が『野球界』大正12年5月号に『斯界に雄飛せんとする天勝野球団』という一文を寄せている。

「・・・1月から正式に入部して、今回のメンバーを編成したわけです。私がキャプテンとして働いています。私が天勝野球団へ加入したに就いて、一部の間に批難もあるやに聴きますが、私はそれをいとひません。私としては、今回の天勝野球団の遠大の計画に賛成したからです。」

「天勝の主人公(=野呂辰之助)は大の野球狂でして、地方興行の際にも野球を見たいと云ふので、野球団を組織して、興行先で、至る所試合をしていたのです。・・・成立後二年たちますが、成績は非常に良かったのです。天勝の主人公は、此際一つ、プロフェッショナルチームをつくり上げてみたいとの考へを起し、ここに、野球団に大改革を加へ、我々が入団したのです。」

「今の所我々は、野球以外に仕事がありません。純粋のプロフェッショナルです。プロフェッショナルで無いなどと卑怯のことは云ひません。プロフェッショナルを標榜して立ったのです。」

鈴木はここで、『天勝野球団』の結成は、支配人野呂辰之助の意向であり、そのプロ化もまた野呂の考えであった事を明らかにしている。更に慶応の名選手が『商売人野球』と呼ばれた職業野球団に身を投じることへの批判をも甘んじて受けながら、この堂々たるプロ宣言を行っている。これを以って天勝野球団は興行団の野球部からプロ野球団へと変貌したのである。

「現在、プロフェッショナルとして、スタートを切ったばかりですからして、技量も、大したものではありませんが、近き将来に於いて、大学チーム以上のものとしたい考えです。将来はプロフェッショナルとして独立したい考へですが、当分は、一座と地方を巡業して、行く先々で、試合をするつもりです。入場料等もとりたいとは、思ひませんが、要するに、現在大阪毎日が取り来っている形式で、なるべく、費用のかからぬやう便宜を図って、地方の方の招聘に応じたいと思ひます。」

ここでいう『大阪毎日』とは当時「日本のビッグクラブ」といわれていた『大毎野球団』のことである。『大毎野球団』は自称こそしていないが、当時の野球人にはプロ野球団とみなされていたのである。芝浦協会の球場、球団一体の『フランチャイズ型』野球団の在り方は、興行団を母体とする『天勝野球団』には真似出来ないので、大毎の『巡業型』野球団を参考にしたということである。

「来年当りは、一座は米国へ巡業することになっていますので、野球団も一緒に米国に行きます。その折に、是非日本を代表する意気込みで、米国のプロフェッショナルチームと試合して腕を上げるつもりです。我々の意気込みは、大したものです。」

野呂が鈴木に言った『遠大の計画』の一端がうかがえる。芝浦協会には出来ないことであろう。興行団の巡業とセットになった天勝野球団ならではの企画である。当時の野球人気を考えると、米国遠征に心を動かされない野球人はいなかったであろう。第一次大戦が終了し、戦争景気から一転戦後恐慌に陥って就職難であったとはいえ、芝浦協会でさえ『商売人野球』の扱いを受ける時代である。天勝野球団に有力大学出身者が多数入団したのは、高給だったことの他に、この米国遠征計画によるところも大きかったと思われる。


新生・天勝野球団メンバー
選手 ポジション 出身
鈴木 関太郎 主将、捕手 慶応大学出
青山 投手、三塁手 東京相撲団
永岡 一塁手 慶応大学出
中沢不二雄 二塁手、遊撃手 明治大学出
竹内 二塁手 不明
大櫻 三塁手、外野手 不明 *旧チームメンバー
田中 遊撃手、三塁手 法政大学 *旧チームメンバー
稲垣 遊撃手 法政大学出
矢野 外野手 明治大学出
朝井 外野手 法政大学出
高宮 外野手 慶応大学出
山田 義隆 外野手 立教大学出
脇坂 外野手 オール呉
坂戸 外野手 法政大学出


慶応の名選手、鈴木を主将に明治の名内野手、中沢(のちパ・リーグ会長)など有力大学出身者が14名中10名という豪華メンバーである。旧チームからの選手はわずか2名。まさに一新といっていいだろう。異色なのは投手の青山。彼は「東京相撲団」から参加した元力士で、現役時代の四股名を『台湾』といった。六尺豊かな長身にどっしりした下半身、体格を生かして力で押す剛球投手だったようだ。

大正12年3月、新生天勝野球団はまず「松岡紡績」チームに9−2で勝利する。続いて3月9日、遂に強敵『大毎野球団』との対戦が行われた。これが実現したのは、大毎のエース小野三千麿が天勝の前コーチだったことも関係していると思われる。既に芝浦協会はこの大敵と3度戦い、3度敗れている。新生プロ野球団天勝といえども通用するかどうか。場所は京阪寝屋川球場。しかしこの試合、大毎エース小野は登板せず、主力打者日下三塁手も欠場していた。


先攻 後攻
天勝軍 大毎軍
中沢 内海(兄)
山田 腰本
鈴木 高浜
永岡 2-1-2
朝井 菅井
田中 川越
高宮 村上
青山 1-2-1 井川
大櫻 内海(弟)


試合経過
天勝軍 大毎軍
1回 1番中沢、初球を右中間2塁打。山田バントで一死3塁鈴木
のショートゴロの間に一点先行。永岡2塁打、朝井ショート
ゴロエラーで2死1、3塁も田中凡退。
内海兄、腰本連続安打。二死後菅井内野安打で二死満塁も
川越ピッチャーゴロで3者残塁。
2回
3回
4回 一死後村上四球、盗塁。井川セカンドゴロの間の間に三塁へ
内海弟タイムリーで同点。
5回 大毎投手井川から森、捕手森から井川に交代。
この回先頭の中沢四球、送りバントで2塁へ。鈴木のライナー
を大毎高浜好捕、すぐさま二塁へ送球、中沢帰れず併殺。
6回 一死一塁から田中、中越の2塁打。走者朝井、長駆生還し勝
ち越し。続く高宮タイムリーで3点目。
7回 大毎投手、森から井川へ。捕手井川から森に交代。 先頭腰本ヒット、高浜ショートゴロエラーで無死1,2塁。
森送りバント、菅井の3塁ゴロに腰本本塁突入もタッチアウト。
続く2死1,3塁から天勝鈴木の捕逸の間に高浜生還。
8回
9回 天勝1点リードで迎えた最終回、大毎の反撃を青山が抑えきり
ゲームセット。


『大阪毎日新聞』はこの試合を、「大毎最後の攻撃も効なく三対二にて本社軍敗る。時に四時半。本社の二ど級艦不在なりしとはいへ、確実に勝利を占めし天勝軍は天晴れといふべし」と伝えている。『ど級艦』とはつまりエース小野と主力打者日下のことである。負け惜しみを交えながらも天勝軍に対する賛辞で締めくくっている。この試合で天勝軍の実力は認められたといっていいだろう。なお天勝軍と大毎軍の二回戦は大毎の勝利となり1勝1敗。後日の決戦を約している。

大阪を離れた天勝軍は、天勝一座の先乗りとして4月中旬から3ヶ月間、満州、朝鮮遠征を行った。緒戦の相手は『大連実業』。前年遠征してきた芝浦協会軍相手に2勝1敗の満州を代表する強豪である。天勝軍はこの強敵を8−3で破ると、同じく強豪の『大連満州倶楽部』にも9−5と勝利。満州の2強を連破した勢いで、その後の試合を連戦連勝。満州で11勝0敗、朝鮮に入っても8勝0敗と、実に19連勝となって朝鮮の強豪、『全デグ』との3連戦を迎えた。地元紙には「天勝球団、来襲!」という記事が載ったという。

天勝軍はその第一回戦に勝利し連勝を20に伸ばしたが、続く第二戦では主力打者の朝井ほか2名が負傷欠場。やむなく記録係や興行部の者が出場したが1−4で遂に連勝がストップ、翌日の新聞には「常勝軍、天勝敗る!」という大見出しが躍った。しかし翌日の第三戦に8−4で勝利し、ここまでの成績を21勝1敗として、一行はソウルへと向った。そこには対馬海峡を越えて芝浦協会がやってくる。いよいよプロ対プロの決戦が行われようとしていた。


天勝野球団、満州朝鮮遠征の成績
満州 朝鮮
勝敗 スコア 対戦チーム 勝敗 スコア 対戦チーム
8−3 大連実業 22-1 全平壌
9−5 大連満州倶楽部 8−0 徴文校
17-4 全営口 4−0 竜山満鉄
6−0 全鞍山 8−0 竜山満鉄
35-0 全遼陽 19-3 全京城実業団
8−3 全奉天 14-1 培材校
5−3 全長春 6−4 全京中
5−1 全長春 30-0 全仁川
11-6 全撫順 7−2 全デグ
10-5 全撫順 1−4 全デグ
16-4 安東 8−4 全デグ