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日本プロ野球団名一覧
このコーナーでは、今までに存在した日本のプロ野球団名を一覧にしています。
セミプロ(準プロ)球団も一部あります。ノンプロ(非プロ)は含んでいません。
計画のみで実際のチームが出来なかった例もありますがチーム名が判明しているものは記載してあります。

このコーナーに記載されていない球団名もあるかと思います。
もし見つけられましたらメールもしくは掲示板にご連絡いただけるとありがたいです。
記載済み球団につきましても説明文などの誤りを発見されましたら同様にお願いします。

【あ〜お】 【か〜こ】 【さ〜そ】 【た〜と】 【な〜の】 【は〜ほ】 【ま〜も】 【や〜よ】 【ら〜ろ・わ】


新着情報(2001.6.13更新)

球団名 主な活動年 概要
京都団 1947 1947(昭和22)年秋、国民リーグ参加を目的に元中部日本監督・竹内愛一が京都出身者を集めて結成を試みたが、実現には至らなかった。総監督・竹内愛一,監督田中良一(立大)以下レギュラー9人がマスコミに発表されたが、その中には当時戦死していた事が判明していなかった青柴憲一(元巨人)が入っていた。【ALEXさん提供】
大映球団 1947-1948 1947(昭和22)年末から翌年の東急との合併(急映フライヤーズ)に至るまでの間は連盟外の独立したプロ野球チームであった。当時、連盟新規参入を目論んでいた大映・永田雅一氏が、内紛で中部日本を脱退した小鶴誠・金山次郎等、所謂赤嶺派の選手10人の受け皿となるチームを他4名を加えた14名で結成。しかし参入を拒絶され、1948(昭和23)年1月、国民リーグ残党で再編成されていた大塚アスレチックスと帯同して九州を巡業。 結局は経営難であった東急との合併する形で連盟参入が実現できたが、赤嶺氏は永久追放(2年後復帰)、選手達は謹慎、トレード等の意趣返しを食らうことになった。【ALEXさん提供】
シバタサーカス野球団 1948 1948(昭和23)年末、後楽園系のシバタサーカスがプロ野球球団設立を企画し、野口明(阪急)をスカウトしたが、実現には至らなかった。【AREXさん提供】
金星リトル・スターズ 1948
1943(昭和23)年、大塚アスレチックスとの合併や、田村駒次郎オーナーと衝突して大陽を脱退した藤本定義と子飼いの選手の受け入れで選手のみならず首脳陣の数も過剰になった金星スターズが苦肉の策として結成した2軍チーム。 監督は石本秀一、主将は濃人渉。7月から8月にかけ、急映・阪急の混成2軍チームと帯同して銚子・長岡・金沢を巡業。 2軍チームが1軍と別に興業を行ったのはおそらくこの時が初めてと思われる。【AREXさん提供】
急映チック・フライヤーズ 1948
1948(昭和23)年の急映フライヤーズの2軍チーム。東急と大映球団との合併で出場機会を奪われた選手で構成。 監督は赤根谷飛雄太郎・主将は谷義夫【AREXさん提供】
東映チック・フライヤーズ 1955
1955(昭和30).2.23.のイースタンリーグ結成時の東映2軍これはイースタンリーグ結成を機にセ・リーグ2軍が前年2軍名称を変えたのに倣ったのではないかと思われる。但し、イースタンはトンボ・ユニオンズだけは特別に2軍名称を設けなかった模様【AREXさん提供】
毎日グリッター・オリオンズ 1955
1955(昭和30).2.23.結成されたイースタンリーグに参加した毎日2軍チーム【AREXさん提供】
大映ジュニア・スターズ 1955
1955(昭和30).2.23.結成されたイースタンリーグに参加した大映2軍チーム【AREXさん提供】
読売ジュニア・ジャイアンツ 1954-1955
1954,55(昭和29,30)年の巨人2軍昭和29年、パの球団増設(高橋ユニオンズ)対抗策としてセ・リーグの2軍は新日本リーグを結成。その折りに2軍も独自のニックネームを設けた。翌年、セの新日本リーグとパの関西ファームリーグが再編成され、イースタン・ウエスタン両リーグが発足するがニックネームはそのまま使用していた。他チームも含め、昭和31年には使っている形跡がないのでニックネームは自然消滅したものと思われる。【AREXさん提供】
大阪ジャガーズ 1954
パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した大阪タイガースの2軍チーム。【AREXさん提供】
阪神ジャガーズ 1955
1955(昭和30).3.1.に結成されたウエスタンリーグに参加した大阪タイガース2軍チーム【AREXさん提供】
中日ダイヤモンズ 1954-1955
パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した中日ドラゴンズの2軍チーム。1955(昭和30).2.23イースタンリーグ(5球団)、3.1ウエスタンリーグ(7球団)結成。【AREXさん提供】
広島グリーンズ 1954
パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した広島カープの2軍チーム【AREXさん提供】
広島カープ・グリナーズ 1955
1955(昭和30).3.1.結成されたウエスタンリーグに参加した広島2軍チーム【AREXさん提供】
国鉄フレッシュ・スワローズ 1954-1955 パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した国鉄スワローズの2軍チーム。1955.2.23イースタンリーグ(5球団)結成に参加。【AREXさん提供】
洋松ジュニア・ロビンス 1954
パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した洋松ロビンスの2軍チーム【AREXさん提供】
大洋ジュニア・ホエールズ 1955
1955(昭和30)年の大洋2軍【AREXさん提供】
ゴールデン・カイツ 1934
1934(昭和9)年に発足した巨人の前身である大日本東京野球倶楽部が米国遠征を行う際に決定しかかったニックネーム。当初関係者は、敷島、朝日、大和、富士、ゴールデンバットと当時の煙草の名前ばかりが候補に挙げたが、神武天皇の弓の先にとまった鳥の故事にちなんで、金鵄(きんし・金色のトビ)を英訳した「ゴールデン・カイツ」に内定した。 しかし、スラングとして「詐欺師」の意味がある事が判明したため断念。 ニックネームが決まらないままアメリカに着くと、既に米国関係者が「東京ジャイアンツ」として宣伝していた。【AREXさん提供】
東京ドリームス 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、東京ドームをフランチャイズとするチーム。チーム名は「プロ野球の夢」から夢(ドリーム)。監督土橋正幸、主な参加選手、江夏豊、村田兆冶、張本勲。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
大阪ロマンズ 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、大阪ドームをフランチャイズとするチーム。チーム名は東京の夢(ドリームス)に対応させて「夢とロマン」から「ロマン」。監督吉田義男、主な参加選手、太田幸司、田淵幸一、高井保弘。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
札幌アンビシャス 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、札幌ドームをフランチャイズとするチーム。クラーク博士の名言、「少年よ大志を抱け」(ボーイズ・ビー・アンビシャス)から命名。監督山内一弘、主な参加選手、佐藤義則、高橋一三、石毛宏典。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
名古屋80D’sers(エイティデイザーズ) 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、ナゴヤドームをフランチャイズとするチーム。名古屋地方の方言「やっとかめ(80日目=久しぶりの意)」から80D'sers(エイティデイザーズ)と命名。監督近藤貞雄、主な参加選手、郭源治、鈴木孝政、田尾安志。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
福岡ドンタクズ 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、福岡ドームをフランチャイズとするチーム。福岡の代表的な祭り、「博多どんたく」から命名。監督稲尾和久、主な参加選手、今井雄太郎、外木場義郎、基満男。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。

日本プロ野球団名一覧 【あ〜お】


球団名 主な活動年 概要
朝日 1941-1944 1940.9.15の理事会で球団の名称を日本語化することが決定し、翌年『ライオン』から改名。オーナーの田村駒治郎が「ライオン」は日本語である!」と抵抗したため他の球団より改名が遅れた。
朝日レッドソックス 1950 1950毎日新聞社に対抗して、大阪朝日新聞社も球団を持つという話が具体化した時に噂された球団名。実体ができる所まで話は進まなかった。
アトムズ 1969 『サンケイ・アトムズ』が『ヤクルト・アトムズ』に代わる間の一年間表記された名称
イーグルス 1937-1940 後楽園球場を親会社として8番目に連盟参加した球団。1940.9.15の球団名日本語化で『黒鷲』と名称変更。
イースタン東海 1936 岐阜イースタン残党と林信一郎(後、阪急)らセントラルシチー中京からの移籍組と高梨勲(全神戸・投手)等の新加入で構成。監督も交代した模様だが詳細は不明。【AREXさん提供】
宇高レッドソックス 1947 宇高産業が日本野球連盟に加盟しようとして結成したチーム。加盟が認められなかったために国民野球連盟(国民リーグ)を結成。宇高産業が資金不足におちいった為、秋のシーズンより熊谷組に譲渡、『熊谷レッドソックス』となる。
ヱーワン・ドラゴンズ 1951 女子プロ野球チーム。昭和26年シーズン中にブリアンツから改称。翌年ノンプロになる。
ヱーワン・ブリアンツ 1950-1951 昭和25年4月結成の女子プロ野球チーム。ヱーワン化粧品。昭和26年シーズン中に愛称をドラゴンズに変更。
大阪近鉄バファローズ 1999- 1999.4.1『近鉄バファローズ』から改称。現在に至る。
大阪ジャガーズ 1954 パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した大阪タイガースの2軍チーム。【AREXさん提供】
大阪タイガース 1947-1960 大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用する事になり、前年までの『阪神』から改称。1961『阪神タイガース』に改称。
大阪ロマンズ 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、大阪ドームをフランチャイズとするチーム。チーム名は東京の夢(ドリームス)に対応させて「夢とロマン」から「ロマン」。監督吉田義男、主な参加選手、太田幸司、田淵幸一、高井保弘。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
大塚アスレチックス 1947 国民野球連盟(国民リーグ)参加チーム。宇高産業撤退後の国民リーグの中心的チーム。1947末に国民リーグを解散して大映と合体、『金星スターズ』を買収して『大映スターズ』となり、日本野球連盟に参加。大塚製作所が千葉、松戸にあったため、『松戸アスレチックス』ともいう。
岡田バッテリーズ 1951 女子プロ野球チーム。昭和26年シーズン中(4月頃)にパールズが岡田乾電池という会社の傘下に入り改称。翌年ノンプロになり、チーム自体は昭和30年まで存続し、5年連続優勝という女子野球最強チームであった
オリックス・ブルーウェーブ 1991- ニックネーム公募で1990.11.1『ブレーブス』を『ブルーウェーブ』と名称変更。現在に至る。
オリックス・ブレーブス 1989-1990 1988.11.4オリエントリースが阪急より経営権を買い取り『阪急ブレーブス』から改称。

日本プロ野球団名一覧 【か〜こ】


球団名 主な活動年 概要
唐崎クラウンズ 1947 国民野球連盟(国民リーグ)参加チーム。大阪でサイダーを作っていた唐崎産業が、サイダーの王冠にちなんで『クラウンズ』を名乗った。この年の終わりにリーグが解散したため、チームも解散した。
関西鵜軍(コーモラント) 1936 岐阜イースタンと同じ出資者で、11年9月中旬結成予定とマスコミに発表された幻の球団。発表当時、監督未定であったが、元岐阜イースタンの浅倉・野原をはじめ12〜13名の選手を集めた模様であり、田部武雄(元巨人)杉田屋守(後、イーグルス)の大物もそれに参加していたとの記事もあるが真偽は定かではない。又、噂として水原茂・井野川利春の名前も取りざたされる。【AREXさん提供】
岐阜イースタン 1936 専務・伊藤修、監督(兼外野手)浅倉長(早大)。昭和11年5月頃発足。主な選手は他に野原五郎(元宝塚協会)筒井隆雄(後、大東京)石井秋雄(後、イーグルス)など。8月頃にイースタン東海と改名。メンバーも大幅に入れ替わっており出資者が変わっていた可能性大。【AREXさん提供】
急映チック・フライヤーズ 1955 1948(昭和23)年の急映フライヤーズの2軍チーム。東急と大映球団との合併で出場機会を奪われた選手で構成。 監督は赤根谷飛雄太郎・主将は谷義夫【AREXさん提供】
急映フライヤーズ 1948 『東急フライヤーズ』が、チームを作ってリーグ加盟の認められない大映の選手を預かり、チーム名を『急映』と改称した。大映は1949に『金星スターズ』を買収して加盟したため、一年で元の『東急』に戻る。
京都団 1947 1947(昭和22)年秋、国民リーグ参加を目的に元中部日本監督・竹内愛一が京都出身者を集めて結成を試みたが、実現には至らなかった。総監督・竹内愛一,監督田中良一(立大)以下レギュラー9人がマスコミに発表されたが、その中には当時戦死していた事が判明していなかった青柴憲一(元巨人)が入っていた。【ALEXさん提供】
京都ロビンス 1949 1949.1月『大陽ロビンス』が京都日々新聞との提携を発表した際の仮称。実際には使われなかった。
巨人 1936- ⇒『大日本東京野球倶楽部』『東京巨人軍』『読売東京巨人軍』の通称
近畿グレートリング 1946 戦前の『近畿日本』、戦後復活した時に鉄道の大きな車輪をあらわす『グレートリング』を愛称としていたが、アメリカ進駐軍に別の意味で喜ばれ慌てて翌年『南海ホークス』に改称する。
近畿日本 1944 1944.6月、親会社の南海電鉄が関西急行電鉄との合併で近畿日本鉄道となったため球団名も変更。
金鯱軍 1936-1940 1936.2.28名古屋新聞により結成され、最初のリーグ戦から参加。同2月9,10,11、“巨人軍渡米送別試合兼金鯱軍結成記念試合”と銘打ち、『日本職業野球連盟』最初の試合を『巨人軍』と戦う。第1戦金鯱10-3巨人、第2戦巨人8-3金鯱、第3戦巨人4-2金鯱。1941球団名日本語化で『翼』となっていた元『セネタース』と合併し、『大洋』となる。
金城軍 1935 1935.11.1新愛知新聞紙上でプロ球団設立予告した際の仮称、正式には名古屋軍として発足した。
金星 1946 ⇒『ゴールドスター』の通称
金星スターズ 1947-1948 大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用。『ゴールドスター』が通称としていた『金星』と、正式名の後半部をつけて『金星スターズ』と名乗る。1948.12.21大映が買収し『大映スターズ』となる。
金星リトル・スターズ 1948 1943(昭和23)年、大塚アスレチックスとの合併や、田村駒次郎オーナーと衝突して大陽を脱退した藤本定義と子飼いの選手の受け入れで選手のみならず首脳陣の数も過剰になった金星スターズが苦肉の策として結成した2軍チーム。 監督は石本秀一、主将は濃人渉。7月から8月にかけ、急映・阪急の混成2軍チームと帯同して銚子・長岡・金沢を巡業。 2軍チームが1軍と別に興業を行ったのはおそらくこの時が初めてと思われる。【AREXさん提供】
近鉄パールズ 1950-1958 1949.11.26パ・リーグ加盟。沿線の名産品、パール(真珠)をニックネームにする。
近鉄バファロー 1959-1961 1959.1.12猛牛と仇名された名選手千葉茂を監督に迎え、ニックネームを『パールズ』から改称。
近鉄バファローズ 1962-1998 1962.2.1ニックネームを『バファロー』から改称。1999に『近鉄』を『大阪近鉄』に改称。
熊谷レッドソックス 1947 国民野球連盟(国民リーグ)参加チーム。『宇高レッドソックス』が経営難の為、1947年秋季リーグよりチームを熊谷組に譲り、改称した。この年の終わりにリーグが解散したため、チームも解散した。
クラウンライター・ライオンズ 1973-1976 西鉄ライオンズから経営権を買い取った福岡野球株式会社がスポンサーを太平洋クラブからクラウンライターに変更した為、1976.10.12.チーム名を変更。1978.10.12.西武鉄道に経営権を売却して、『西武ライオンズ』となり、フランチャイズを福岡県から埼玉県に移す。
クロススターズ 1950 昭和25年8月発足の女子プロ野球チーム。発足後2,3ヶ月で解散した。
黒鷲 1940-1942 1940.9.15の理事会で球団の名称を日本語化することが決定した時に『イーグルス』から改称。1942年途中に大和製作所に所属が移りチーム名を『大和』と変更。
京浜ジャイアンツ 1950-1951 昭和25年に発足した女子プロ野球チーム。京浜百貨店。昭和27年からはノンプロ「京浜」
ゴールデン・カイツ 1934 1934(昭和9)年に発足した巨人の前身である大日本東京野球倶楽部が米国遠征を行う際に決定しかかったニックネーム。当初関係者は、敷島、朝日、大和、富士、ゴールデンバットと当時の煙草の名前ばかりが候補に挙げたが、神武天皇の弓の先にとまった鳥の故事にちなんで、金鵄(きんし・金色のトビ)を英訳した「ゴールデン・カイツ」に内定した。 しかし、スラングとして「詐欺師」の意味がある事が判明したため断念。 ニックネームが決まらないままアメリカに着くと、既に米国関係者が「東京ジャイアンツ」として宣伝していた。【AREXさん提供】
ゴールドスター 1946 戦前の『朝日』の選手が大量に脱退して結成。1946.2.18リーグ加盟。名前が長いので通称『金星』。1947にニックネームをつける時に『金星スターズ』となる。
神戸野球倶楽部 1936 関西鵜軍(コーモラント)と同時期に結成の動きがあった幻の球団。12年春始動を目標としていたが頓挫。監督は高浜茂(慶大)、マネージャーは福田健一(元神戸商監督)、シアトル太陽倶楽部(おそらく神戸のクラブチーム)から選手が数名参加する予定であった。【AREXさん提供】
国鉄スワローズ 1950-1965 19501.12、セ・リーグ8番目の球団として加盟。1965.5.10『サンケイ・スワローズ』となる。
国鉄フレッシュ・スワローズ 1954-1955 パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した国鉄スワローズの2軍チーム。1955.2.23イースタンリーグ(5球団)結成に参加。【AREXさん提供】

日本プロ野球団名一覧 【さ〜そ】


球団名 主な活動年 概要
サーパス神戸 2000- オリックス・ブルーウェーブの2軍に「サーパス」マンションを建築販売している穴吹工務店がスポンサーになって1軍と別名称になったもの。
札幌アンビシャス 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、札幌ドームをフランチャイズとするチーム。クラーク博士の名言、「少年よ大志を抱け」(ボーイズ・ビー・アンビシャス)から命名。監督山内一弘、主な参加選手、佐藤義則、高橋一三、石毛宏典。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
三共レッドソックス 1950-1952 女子プロ野球チーム。昭和25年3月から三共製薬がスポンサーになってレッドソックスから改称。創生期の女子野球最強チーム。昭和27年、女子野球リーグがプロからノンプロに移行し、同年11月、三共女子野球部となる。昭和45年9月解散。
産業 1944 1944戦局悪化のため、親会社の新愛知新聞社の支援を十分受けられなくなった名古屋軍が、選手を理研工業の所属として『産業』に名称を変更。
サンケイ・アトムズ 1966-1968 『サンケイ・スワローズ』から名称変更。1969に『アトムズ』と称し、1970『ヤクルト・アトムズ』となる。
サンケイ・スワローズ 1965 1965.5.10『国鉄スワローズ』から名称変更。翌年から『サンケイ・アトムズ』となる。
山陽クラウンズ 1950-1952 昭和25年秋に結成され27年に解散した独立2軍チーム。ウエスタンリーグ結成前の関西2軍リーグで南海・阪急・阪神・中日と対戦。解散後数名が南海や毎日に引き取られた。親会社は山陽電鉄。【ALEXさん提供】
芝浦運動協会 1920-1923 ⇒『日本運動協会』の通称
シバタサーカス野球団 1948 1948(昭和23)年末、後楽園系のシバタサーカスがプロ野球球団設立を企画し、野口明(阪急)をスカウトしたが、実現には至らなかった。【AREXさん提供】
松竹ロビンス 1950-1952 『大陽ロビンス』がスポンサーに松竹映画をつけ名称を変更。1953.1.10『大洋ホエールズ』と合併し『大洋松竹ロビンス』となる。
湘南シーレックス 2000- 横須賀を本拠地としていた横浜ベイスターズの2軍が一軍と別名称になったもの。
西武ライオンズ 1979- 1978.10.12『クラウンライター・ライオンズ』(福岡野球株式会社)から経営権を買い取り、フランチャイズを福岡から埼玉に移し現在に至る。
セネタース 1946 1リーグ最初から参加していた『東京セネターズ』の初代監督横沢三郎が戦後復活させた球団。1年で資金不足に陥り東急に経営権を売却し『東急フライヤーズ』となる。
セントラルシチー中京 1936 昭和11年現連盟に参加拒否され、イースタン東海と共に新日本専門リーグを結成。オープン戦では連盟側の名古屋軍・金鯱軍とも対戦。阪急入団前の重松道雄投手(のち西鉄コーチ)が偽名で参加。又、林信一郎内野手は後に阪急、国民リーグと3機構に参加した唯一の選手である。11年秋、上草井球場で東海イースタンとセミプロチーム東京ユニオンの3チームで興行後、事実上解散。【ALEXさん提供】

日本プロ野球団名一覧 【た〜と】


球団名 主な活動年 概要
大映球団 1947-1948
1947(昭和22)年末から翌年の東急との合併(急映フライヤーズ)に至るまでの間は連盟外の独立したプロ野球チームであった。当時、連盟新規参入を目論んでいた大映・永田雅一氏が、内紛で中部日本を脱退した小鶴誠・金山次郎等、所謂赤嶺派の選手10人の受け皿となるチームを他4名を加えた14名で結成。しかし参入を拒絶され、1948(昭和23)年1月、国民リーグ残党で再編成されていた大塚アスレチックスと帯同して九州を巡業。 結局は経営難であった東急との合併する形で連盟参入が実現できたが、赤嶺氏は永久追放(2年後復帰)、選手達は謹慎、トレード等の意趣返しを食らうことになった。【ALEXさん提供】
大映ジュニア・スターズ 1955 1955(昭和30).2.23.結成されたイースタンリーグに参加した大映2軍チーム【AREXさん提供】
大映スターズ 1949-1956 1948(昭和23).12.21、『産業』から独立した選手でチームを作っていた大映が国民リーグと合体して『金星スターズ』を買収し日本野球連盟に加盟。1957.11.28『高橋ユニオンズ』と合併して『大映ユニオンズ』となる。
大映ユニオンズ 1957 1957.2.25『大映スターズ』と『高橋ユニオンズ』が合併して『大映ユニオンズ』となる。同年11.24『毎日オリオンズ』と合併。
大毎オリオンズ 1958-1963 1957.12.28『毎日オリオンズ』と『大映ユニオンズ』が合併。『毎日大映オリオンズ』となる。通称『大毎オリオンズ』。1964.1.16『東京オリオンズ』と改称。
大東京 1936-1937 国民新聞社を親会社に1リーグ発足時から参加。資金難から田村駒に経営が代わりライオン歯磨をスポンサーにつけて『ライオン』と名称が変更された。
大日本東京野球倶楽部 1934- 1934.12.26設立。同年来日した全米大リーグ選抜と対戦した全日本軍から選手を集め結成した。通称巨人軍
太平 1946 ⇒『パシフィック』の通称
太平洋クラブ・ライオンズ 1973-1976 1972.11.9『西鉄ライオンズ』から経営を買い取った『福岡野球株式会社』が太平洋クラブをスポンサーにして名称変更。
大毎野球団 1920-1929 大阪毎日新聞のPRに全国を転戦した。大学のスター選手を擁し『日本のビッグクラブ』と称された。『宝塚運動協会』とも対戦する。
大洋 1941 『金鯱軍』と『翼』の合併でできた球団。表面上は対等合併だが実質的には『翼』主導の吸収合併。『セネタース』からのオーナー有馬頼寧卿が久留米藩主の嫡系であったため、当時の家来筋に当るブリジストン石橋氏や白木屋デパート鏡山氏の援助で翌年九州に移り『西鉄』と名称を変更する。
大洋ジュニア・ホエールズ 1955 1955(昭和30)年の大洋2軍【AREXさん提供】
大洋松竹ロビンス 1953 1953.1.10『大洋ホエールズ』と『松竹ロビンス』の合併により名称を『大洋松竹ロビンス』とした。翌年『洋松ロビンス』と改名。
大洋ホエールズ 1950-1952
1955-1977
2リーグ分裂時にセリーグに参加した。親会社が捕鯨会社だったため『ホエールズ』というニックネームを採用。1953.1.10『松竹ロビンス』と合併して『大洋松竹ロビンス』と名乗るが、1954.12.11松竹映画が手を引くと元の名称に戻した。1978、横浜スタジアムに本拠地を移すと共に横浜大洋と改称。
太陽ロビンス 1947 大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用。オーナーの田村駒治郎の『駒』から駒鳥(ロビン)をニックネームにする
大陽ロビンス 1948-1949 「野球は点を取るスポーツであるから『太陽』から点を取る」というオーナーの一声で太陽から大陽へと名称変更。1950松竹映画をスポンサーにして『松竹ロビンス』に名称変更。
高橋ユニオンズ 1954,1956 パリーグを偶数の8球団にするため創られた、オーナーの高橋龍太郎氏の個人出資球団。1955に一年間、とんぼ鉛筆をスポンサーにしてトンボユニオンズと名乗る。1957.2.25大映スターズと合併し大映ユニオンズとなる。
宝塚運動協会 1924-1929 関東大震災後解散した『芝浦運動協会』を阪急総帥小林一三が引き取って再出発させた球団。
千葉ロッテマリーンズ 1992- ロッテ・オリオンズが千葉マリンスタジアムに本拠地を移し球団名を変更
中京野球クラブ 1937 前年のセントラルシチー中京が更正し、12年4月に株式会社中京野球クラブが発足。小田原小峰球場で合宿を行い、メンバーまで発表したが、実際には対外試合までに至らず資金難で雲散霧消した様子。【AREXさん提供】
中日ダイヤモンズ 1954-1955 パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した中日ドラゴンズの2軍チーム。1955(昭和30).2.23イースタンリーグ(5球団)、3.1ウエスタンリーグ(7球団)結成。【AREXさん提供】
中日ドラゴンズ 1948-1950
1954-
中部日本ドラゴンズからの改称。一時期、名古屋鉄道が経営に参加して名古屋ドラゴンズと名乗るが、名古屋鉄道が経営から手を引くと、また名称を中日ドラゴンズに戻し現在に至る。
中部日本 1946 戦前の『産業』を中部日本新聞社が戦後復興時に再度経営し『中部日本』と名乗る。翌年、ニックネームをつけることになり『中部日本ドラゴンズ』と名称変更。
中部日本ドラゴンズ 1947 大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用。オーナーが辰年だったためドラゴンズと決定した。
1940 1940.9.15の理事会で球団の名称を日本語化することが決定した時に『東京セネタース』から改称。1941『金鯱軍』を合併し、チーム名を『大洋』と変更。
天勝野球団 1921-1923 松旭斎天勝率いる天勝奇術団のチームが独立してプロ球団となる。『芝浦運動協会』との対戦は人気を呼んだが関東大震災後解散する。
東映チック・フライヤーズ 1955 1955(昭和30).2.23.のイースタンリーグ結成時の東映2軍これはイースタンリーグ結成を機にセ・リーグ2軍が前年2軍名称を変えたのに倣ったのではないかと思われる。但し、イースタンはトンボ・ユニオンズだけは特別に2軍名称を設けなかった模様【AREXさん提供】
東映フライヤーズ 1954-1972 1954.2.1『東急フライヤーズ』から名称変更。1973.2.7日拓ホームに経営権を売却。
東急フライヤーズ 1947
1949-1953
1947.1.7東急が『セネタース』から経営権を買い取り名称変更。1948大映がリーグ加盟を目指して集めていた選手を東急が預かりチーム名を『急映フライヤーズ』としたが大映が『金星スターズ』を買収したリーグに加盟したため預かっていた選手を返しチーム名を元に戻した。
トウキョウ・ジャイアンツ 1935 『大日本東京野球倶楽部』がアメリカ遠征したときに名乗った愛称。
東京オリオンズ 1964-1968 1964『大毎オリオンズ』から改称。1969.1.18ロッテ製菓と業務提携し『ロッテ・オリオンズ』に名称変更。
東京カッブス 1947 芝浦運動協会、宝塚運動協会、イーグルスを創った河野安通志の4番目の球団だが、連盟加盟が認められなかった。
東京巨人軍 1936-1944
1946
通称『巨人』
東京グリーンバーク 1947 『東京カッブス』から名称変更。後に『結城ブレーブス』と名称を変更し、国民リーグに参加。
東京セネタース 1936-1939 貴族院議員有馬頼寧をオーナーに西武鉄道の資本援助で設立。1940.9.15の理事会で球団の名称を日本語化することが決定し、『翼』と改称。
東京ドラゴンズ グローバルリーグ参加の日本球団。
東京ドリームス 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、東京ドームをフランチャイズとするチーム。チーム名は「プロ野球の夢」から夢(ドリーム)。監督土橋正幸、主な参加選手、江夏豊、村田兆冶、張本勲。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
東京読売巨人軍 1947- 通称『巨人』
トンボ・ユニオンズ 1955 1954.12.4とんぼ鉛筆が高橋ユニオンズのスポンサーとなったため、名称変更。1955末スポンサーを降りたので一年限りで名称が高橋ユニオンズに戻る。

日本プロ野球団名一覧 【な〜の】


球団名 主な活動年 概要
名古屋80D’sers(エイティデイザーズ) 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、ナゴヤドームをフランチャイズとするチーム。名古屋地方の方言「やっとかめ(80日目=久しぶりの意)」から80D'sers(エイティデイザーズ)と命名。監督近藤貞雄、主な参加選手、郭源治、鈴木孝政、田尾安志。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
名古屋軍 1936-1943 新愛知新聞社の経営で1リーグ結成時から参加。戦局が悪化した折、一時選手を理研工業の所属としてチーム名を『産業』と変更。
名古屋ドラゴンズ 1951-1953 1951.2.6『中日ドラゴンズ』に名古屋鉄道が経営参加したため、名称を変更。名古屋鉄道が経営から手を引くと名称を元に戻した。
南海 1938-1944 1938.3.29リーグ加盟。秋のリーグ戦から正式参加となる。1944.6月、親会社の南海電鉄が関西急行電鉄との合併で近畿日本鉄道となったため球団名も『近畿日本』に変更。
南海ホークス 1947-1988 前年の『近畿グレートリング』の愛称が、アメリカ進駐軍に別の意味で喜ばれ慌てて『南海ホークス』に改称した。1988.11.1ダイエーに経営権を売却し『福岡ダイエーホークス』となる。
西鉄 1943 『金鯱軍』と『翼』の合併でできた『大洋』が西日本鉄道に経営が変わって名称変更。本拠地を九州としたが公式戦は甲子園、西宮、後楽園だけしか開催されなかった。1943暮に解散届を出す。戦後日本野球連盟に復帰願いを出したが認められず、後に2リーグ分裂後、パ・リーグに『西鉄クリッパーズ』として加盟する。
西鉄クリッパーズ 1950 西日本鉄道が戦前の『西鉄』の復帰願いを連盟に提出していたが、一度解散したために認められず、2リーグ分裂時にパ・リーグに加盟。
西鉄ライオンズ 1951-1972 1951.2.28『西鉄クリッパーズ』と『西日本パイレーツ』が合併して『西鉄ライオンズ』となる。経営不振から1972.11.9経営権を福岡野球株式会社に売却。
西日本パイレーツ 1950 1949.12.15セ・リーグに加盟した西日本新聞社経営のチーム。本来西日本鉄道と共同でチーム運営する予定が2リーグ分裂のあおりで別々に球団を持つことになった。1951.2.28セ・リーグを脱退し『西鉄クリッパーズ』と合併。『西鉄ライオンズ』となる。
日拓ホーム・フライヤーズ 1973 1973.2.7『東映フライヤーズ』経営権を買い取り、改称。1973.11.19経営権を売却、『日本ハム・ファイターズ』となる。
ニッサン・パールズ 1950 女子プロ野球チーム。昭和25年夏にニッサングループがパールズの経営母体となり改称するも、夏の終わりには運営権を手放し元のパールズに戻る。
日本ハム・ファイターズ 1974- 1973.11.19『日拓ホーム・フライヤーズ』経営権を買い取り、改称。現在に至る。
日本運動協会 1920-1923 日本初のプロ野球団。早稲田大学や後に出来た『天勝野球団』などと対戦したが、関東大震災後解散。後に阪急小林一三の尽力により『宝塚運動協会』として復活。

日本プロ野球団名一覧 【は〜ほ】


球団名 主な活動年 概要
パールス 1950-1951 昭和25年2月に結成された女子プロ野球。国際観光から7月にスポンサーがニッサングループに代わり、ニッサン・パールズに改称したが夏の終わりにはニッサングループが投げ出し、元のパールズに戻る。昭和26年シーズン中に岡田乾電池の傘下に入り岡田バッテリーズに改称。
パシフィック 1946 戦前の『朝日』オーナーの田村駒治郎氏の球団。通称『太平』。1947年よりニックネームを採用する事になり『太陽ロビンス』と改称。
1945 戦前の連盟解散後、昭和20年正月大会の為結成された、阪急、朝日などの連合軍。1月1日から5日まで「猛虎」と8試合行い戦前最後のプロ野球試合となった。
阪急 1936-1944
1946
1リーグ発足時に参加。山下、宮武などの大学野球のスター達に混じって、宝塚運動協会に参加していた選手達もチーム結成時に参加。1947から、ニックネームをつける。
阪急ブレーブス 1947-1988 公募で名称決定。1988.11.4オリエントリースに経営権を売却、オリックス・ブレーブスとなる。
阪急ベアーズ 1947 大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用、阪急ベアーズとしてスタートしたが5月より公募で決めたブレーブスという名称に変更。
阪神 1940-1944
1946
1940.9.15の理事会で球団の名称を日本語化することが決定。タイガースから阪神へと名称を変更した。大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用して大阪タイガースとなる。
阪神ジャガーズ 1955 1955(昭和30).3.1.に結成されたウエスタンリーグに参加した大阪タイガース2軍チーム【AREXさん提供】
阪神タイガース 1961- 『大阪タイガース』から名称を変更し現在に至る。
広島カープ 1950-1967 1949.12.15セ・リーグ結成に新球団として参加。
広島カープ・グリナーズ 1955 1955(昭和30).3.1.結成されたウエスタンリーグに参加した広島2軍チーム【AREXさん提供】
広島カープス 1950 セ・リーグ加盟の際に申請した名称。加盟が認められて名称が公表されると、「『カープ(鯉)』の複数は『カープ』でSはつかない」と指摘されカープに名称を変更した。
広島グリーンズ 1954 パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した広島カープの2軍チーム【AREXさん提供】
広島東洋カープ 1968- 1968広島カープから名称変更して現在に至る。
福岡ダイエー・ホークス 1989- 1988.11.1南海ホークスから経営権を買い取り、フランチャイズを大阪から福岡へ変更。1993本拠地を福岡ドームへ移し現在に至る。
福岡ドンタクズ 2001- プロ野球OBによるマスターズリーグ、福岡ドームをフランチャイズとするチーム。福岡の代表的な祭り、「博多どんたく」から命名。監督稲尾和久、主な参加選手、今井雄太郎、外木場義郎、基満男。第一回リーグ戦は2001(平成13)年11月1日に開幕、翌年1月23日まで行われる。
福岡野球株式会社 1973-1976 西鉄野球株式会社(西鉄ライオンズ)が経営難となり、経営権を買い取る。太平洋クラブ、クラウンライターをスポンサーにしてチーム名につけるという経営。1976.10.12西武ライオンズに経営権を売却。
富国ホーマー 1950 女子プロ野球チーム。製菓会社から建設会社にスポンサーが代わりホーマーから改称したがその年の内に解散。
ホーマー 1950 昭和25年2月に結成された女子プロ野球。ホーマー製菓。

日本プロ野球団名一覧 【ま〜も】


球団名 主な活動年 概要
毎日オリオンズ 1950-1957 正力松太郎の勧めにより、毎日新聞社が日本野球連盟に加盟するために結成した球団。この球団の加盟を認めるかどうかの問題から2リーグ分裂が起きた。1957.12.18『大映ユニオンズ』を合併し『大毎オリオンズ』となる。
毎日グリッター・オリオンズ 1955 1955(昭和30).2.23.結成されたイースタンリーグに参加した毎日2軍チーム【AREXさん提供】
松戸アスレチックス 1947 ⇒大塚アスレチックス
猛虎 1945 戦前の連盟解散後、昭和20年正月大会の為結成された、阪神を中心にした混成軍。1月1日から5日まで「隼」と8試合行い戦前最後のプロ野球試合となった。

日本プロ野球団名一覧 【や〜よ】


球団名 主な活動年 概要
ヤクルト・アトムズ 1970-73 1970.1.7『サンケイ・アトムズ』から名称変更。
ヤクルト・スワローズ 1974- 1973.11.26ヤクルト・アトムズから改称して現在に至る。
大和 1942-1943 『黒鷲』を支援していた高橋龍太郎から、1942年途中に大和製作所に経営が変わりチーム名を『大和』と変更。
結城ブレーブス 1947 国民野球連盟(国民リーグ)参加チーム。東京グリーンバークから名称変更。1947年の終わりにリーグが解散したため、チームも解散し、金星スターズとなる。
洋松ジュニア・ロビンス 1954 パ・リーグ8球団制の実施に危機感を持ったセ・リーグが1954(昭和29).1.11に結成した、セ・リーグ6球団ファームチームによる新日本リーグに参加した洋松ロビンスの2軍チーム【AREXさん提供】
洋松ロビンス 1954 前年の大洋松竹ロビンスから改名。翌年松竹が経営から手を引いたため、合併前の大洋ホエールズに戻る。
横浜大洋ホエールズ 1978-1992 川崎から横浜スタジアムへ本拠地を変更した際、球団名を都市名をつけたものに変更。1993市民球団を目指し名称変更。
横浜ベイスターズ 1993- 1992.11.11横浜大洋ホエールズは地域密着を目指して球団名から企業名を排除。ニックネームも変更し、現在に至る。
読売ジャイアンツ 1947- 大リーグ゙に倣うという事で1947年よりニックネームを採用する事になったため、『読売ジャイアンツ』と表記するようになったが、通称であり正式名称は『東京読売巨人軍』
読売ジュニア・ジャイアンツ 1954-1955 1954,55(昭和29,30)年の巨人2軍昭和29年、パの球団増設(高橋ユニオンズ)対抗策としてセ・リーグの2軍は新日本リーグを結成。その折りに2軍も独自のニックネームを設けた。翌年、セの新日本リーグとパの関西ファームリーグが再編成され、イースタン・ウエスタン両リーグが発足するがニックネームはそのまま使用していた。他チームも含め、昭和31年には使っている形跡がないのでニックネームは自然消滅したものと思われる。【AREXさん提供】

日本プロ野球団名一覧 【ら〜ろ・わ】


球団名 主な活動年 概要
ライオン軍 1937-1940 『大東京』の経営権を田村駒株式会社が買い取った時にライオン本舗(歯磨)をスポンサーに付け、球団名をライオンと名乗った。戦時体制に協力する為、各チームが漢字名に変えたときオーナーの田村駒治郎氏が「ライオンは日本語である!」と抵抗したが、1941年から『朝日軍』と名乗るようになる。
レッドソックス 1950 昭和25年1月結成された女子プロ野球2番目のチーム。同年3月に三共製薬をスポンサーにして三共レッドソックスと改称。
ロッテ・オリオンズ 1969-1991 1969.1.18.『東京オリオンズ』と株式会社ロッテ製菓の間に業務提携が成立した事により、球団名を変更。1971.1.25.ロッテ製菓が球団経営肩代わりを全面的に受け入れる。1974.2.8.株式会社東京スタジアムが解散、本拠地のない球団となる。1991.9.4.フランチャイズを千葉県に変更、同年11.21.球団名を『千葉ロッテ・マリーンズ』に改称。
ロマンス・ブルーバード 1949-? 昭和24年6月に結成された、日本で最初の女子プロ野球チーム。25年7月にはリーグ脱退し新リーグ結成するもやがて解散。
わかもとフラビンス 1950-1951 昭和25年8月発足の女子プロ野球チーム。わかもと製薬。昭和27年からノンプロ「わかもと」