大職業團選手の人身賣買

大職業團選手が一チームに平均二十六七人づヽゐることは前に書いたが大リーグがナショナル、アメリカン両リーグを合せて十六あるから一チーム二十七人とすれば總数四百三十二人となり、即ちこの四百三十二人がいはゆる米國の大野球選手として幾百万ファンが渇仰の目標となつてゐるのである。

彼等は春のシーズンから秋十月へかけて六ヶ月間大リーグの所在地であるニューヨーク以下前記の箇所へ交る交る出張してリーグ戦を行ふのであるが、この六ヶ月間は全く旅から旅へ出て一日も休養せずに試合をするのであるから、その労苦は一通りではない。尤もいはゆる大リーグの大選手たることは彼等が名誉であり誇りであると共にこれに酬いられる俸給も少額でないので彼等は美しい夢を見てゐるやう、快よくその青春期を過ごしつヽあるのではあるまいか。


大選手に與へられる俸給は三万五千ドル位を最高とされてゐる。最低でも五六千ドルは下らぬであらう。しかも彼等の選手としての働きは春秋六ヶ月間でよいのだから==尤もこの外に一二ヶ月は練習期に費されるが==シーズン以外は勝手に如何なる職業でもなし得られるので大抵は何かやつてゐるらしい。

例へばセントルイス軍のマネヂャーでナショナル・リーグ第一の猛打王ホーンスビイの如きは平素保険屋でありニューヨーク・ヤンキースの投手ホイトの如きは葬式屋を営んでゐる。だから彼等の収入は本職と内職を合せて頗る多額であると共に大選手として各都市の人氣を一身に集めいはヾ羨ましい身分であるが彼等ほど又榮枯盛衰のはげしいものはなく明日をも待たで賣られ行く■■ない運命につき纏はれてゐるのだ。


大職業團選手の賣買は公然と行はれる。たとへばAチームのマネヂャーがBチームのOといふ選手が欲しいと思へばBチームのマネジャーに交渉してそのO選手を譲つてくれぬかといふ、譲つてもいヽがいくらよこす、五万ドルあげようそれなら譲らうといふ事に相談が進行すればそこにO選手の賣買は成立つので即ちBチームのマネジャーはAチームから五万ドル受取つてO選手を譲り渡すのである。

これは有望な選手を買ふ場合であるが下り坂となつて持て余し氣味になる選手となるといくらで賣るから買手はないかといふことになる。又チームがDチームからMといふ選手を買ふ條件として現金五万ドルにTといふ選手を添へてやるといふ場合などもある。現金と共に添物にされて賣られる選手こそいヽ面の皮であるが添物でなくとも買手があれば何時でも賣られるといふ下り坂の選手となると、戦々兢々の外はない。尤もこの賣買以外各チームの間に必要な選手を交換する場合もあるが多くは現金の賣買で新聞紙上選手の買はれた場合にBought(買はれる)といふ字を用ふるし賣買の約束が出來た場合Trade(商ひ)といふ字を使つてゐるのである。


先年日本へ來た事のある當時ニューヨーク・ヤンキースの正投手ブッシュは今セントルイスの投手となつてゐるが彼はヤンキースのマネジャー、ハッギンスと不和のためセントルイス軍に賣られてしまつた。それ以來彼はニューヨーク・ヤンキース軍を仇敵視し同軍と戦ふ時は全力をあげて復仇の念燃ゆるものがあると彼自身揚言してゐるがこれは無理もない話でこの一種の人身賣買は實にチームのマネジャー一個の考へでどうにもなる。だから成績が少し不良になると選手はマネジャーの鼻息を窺つて内心危惧に満たされてしまふ。彼等が試合の際に物をもいはず懸命に奮闘するのは全くこれがために外ならぬ

選手の賣買若くは交換は右のやうな有様であるがこの外に有望な新選手を發見若くは引抜いて來るのはどういう方法でやつてゐるかといふに、ソレは各チームに必ず斥候(Scout)といふのがゐる。大体一チームに二人位づヽゐるがこれが多数の手下を使つて絶えず各地各方面の小職業團若くは大學チームに注意をして有望な選手を物色しつヽある。

例へばコースト・リーグのシアトル・チームに素敵な投手がゐるといふ事を手下から斥候へ報告してくれば斥候は直にシアトルに出張して少くも一ヶ月間そのチームと行動を共にして目的の投手が果して有望であるか否かを十二分に研究しいよいよいヽとなるとこれを引抜いて自分のチームに加へるのである。このいはゆる抜擢は野球選手に取つて無上の名誉であるから小職業團の選手はたヾ大職業團に登用せらるヽことを最終の目的として奮闘を重ねるのである。

大阪毎日新聞 大正14年8月4日

本塁打の多いのに驚く

約四百人の大職業團選手はいづれも一粒選りのスターであるから勿論其処にたいした優劣はなく打撃力の如きも最も劣つてゐるものでも二割以下には落ちぬのである。日本の選手でその平均打撃率二割を維持することは中々困難であるが米國における打撃の進歩は殊に近頃になつて目覚しきものあり大抵の試合は十二三本位づヽの安打を飛ばしてゐる。日本で十本以上の安打を出すことの容易でないことから考へて同時に米國は投手がいヽからさう無暗に安打は出まいと思つてゐたが、實際はさうでなく安打の数が非常に多い。又如何なる名投手でも全く打者を封ずるといふことは希有の場合に限られ多くはポンポン打たれてゐる。

私の驚いたのは本塁打の多いことで本塁打は正面と一塁及び三塁側の観覧席に打ち込めばいヽのであるが如何なる試合にも一本か二本の本塁打のないことはなかつた。多い時は一試合に五本もあつた。尤も正面の観覧席にブチ込んだヾけの本塁打は滅多にないが両側の観覧席には無雑作にカッ飛ばし観衆は狂喜すること日本と同じく新聞紙は毎日各チーム選手の本塁打数を掲げて興味をそヽりつヽある。


本塁打王は無論ニューヨーク・ヤンキースのベーブルースであるが彼は本年猛烈なインフルエンザで四月から一ヶ月入院してゐた。そして六月初旬から漸く出場したがまだ健康全く旧に復せず意氣頗る昂らない。私がニューヨークで三回彼の試合を見たがまるつきり當たつてゐなかつた。本塁打も前後十二三試合に出た間に三本しかなかつた。恐らく本年はつひに昨年のやうな成績は見られまいと思ふ。

私がニューヨークにゐた當時の本塁打王はアメリカンリーグではベーブルースの同僚で同じくニューヨーク・ヤンキースの外野手ミューゼルであつた。彼はかつて日本に來たことのあるニューヨーク・ヂャイアントの外野手ミューゼルの弟であるが兄よりは上背もあり元氣もあつて六月十五日迄に十五本の本塁打を飛ばしてゐた。ナショナルリーグの方ではセントルイスのホーンスビイで彼は昨年もナショナルリーグ第一の安打王本塁打王であつたが=昨年のアメリカンリーグの安打王本塁打王はベーブルースであつた=本年も依然その第一位を保ち同じく六月十五日迄に十六本の本塁打があつた。


近頃になつてなぜかう本塁打が多くなつたか、これは打撃が進歩したからであらうがその外にボールが改められたことにもある。たしか一昨年であつたがボールを少し軽くしたがそれからたいさう飛ぶやうになつたのださうだ。私は今度大職業團の試合を十三回見たが本塁打も十三回見た。中でも凄かつたのはデトロイト對ニューヨークヤンキースの時でデ軍の攻撃猛烈を極めすでに一擧五点を得たに拘らずなほ一死でしかも満塁であつた。

この時同軍のマネヂャーであつて米國野球界第一の長老たるタイカッブがボックスに立つた。彼は最前からバットを三本一束にして振り廻しつヽあつたがやをらその中の一本を提げてボックスに立つたのである。大職業團の投手でもタイカッブなどの大選手が出ると多少上り氣味となつてしまふ。ワンボール、ワンストライキ後に與へたる一球は果然右翼線側の観覧席に直球となつて飛んで入り塁上の三者悉く一掃さるヽと共にタイカッブ彼自身も悠々として本塁に入り彼の一打實に四点を収穫して幾万ファンは驚嘆してしまつた。

見事というよりも寧ろ物凄い位であつたがこの時の右翼手はベーブルースで彼があわててタイカッブの本塁打を追ひかけて行く姿はいかにも皮肉に見えた。タイカッブの凄味は今に初まつたことではないが殊に本年の當たりは非常なもので、六月初旬セントルイスとの試合の時五本の安打を飛ばしその三本は本塁打であつた。即ち一ゲームに本塁打三本単打二本といふレコードを作つて氣を吐いた。その年齢は幾つと思ふ?當年とつて實に三十九歳!

大阪毎日新聞 大正14年8月6日

五人の大選手と小職業團チーム

前回に書いたデトロイト軍マネーヂャーのタイカッブは當年三十九歳の老将だが大選手としての生活實に二十年の長きに及びこの間の試合数二千六百四回、アットバット数九千九百三十八回、それで安打数三千六百六十六即ち二十年間に三割六分九厘といふ驚くべき打数率を保持してゐる.

その大選手生活の長さにおいてもその打撃率においても勿論米國第一であつてベーブルースは選手生活十年、試合数一千九十八回、アットバット数三千五百六十五回、安打数一千二百五十二、打撃率三割五分一厘で第六位にある、カッブにつぐものはホーンスビーで選手生活十年試合数一千二百六十二回、アットバット数四千七百六十七回安打数一千七百十三、打撃率三割五分九厘である


雲の如き大選手中その長老と目すべきものは

タイカッブ(デトロイト、タイガース軍)
ホーンスビー(セントルイス、カーヂナル軍)
シスラー(セントルイス、ブラウンス軍)
スピーカー(クリーブランド、インヂアンス軍)
コリンス(シカゴ、ホワイトソックス軍)

の五名を推さねばなるまい。この五名は共にこのチームのマネーヂャーであつて又打撃率からいつても他の追随を許さない人々である。タイカッブ及びホーンスビーのことは前に書いたがスピーカーは昨今の処ではアメリカンリーグで安打数の首位にあり、シスラーは選手生活九年で打撃率三割五分三厘、ホーンスビーに次いで第三位の打撃率保持者であり又コリンスは選手生活十九年、打撃率は三割三分二厘であるがその正確さの点において他の人々に優つてゐる。私達はこの五名に逢ひ又その戦ひ振りを見たが中において最も獰猛であるのはタイカッブであつた。

彼は六尺豊の大男である。彼の眼中には敵を倒すといふ以外何物もないらしい。試合の際において氣に食はぬことがあれば何人を問はず喧嘩を吹きかける。私はたびたび彼を見たがそのたび毎に何かしら争はない事はなかつた。

二塁から三塁に飛び込んで塁審からアウトと宣告されたが彼は頑としてきかなかつた。どうしても塁を離れなかつた事があつた。又見物が野次つたら彼は早速その見物にくつてかヽつてゐた。ワシントンセネター軍と試合の時に二塁のハリスが何かいつたのに腹を立てヽわざわざその傍に怒鳴りに行つた。要するに始末におへぬ男であつた。私達の感服の出來ぬ男であつたがその獰猛には舌をまかざるを得なかつた。


ユニホームの袖は腕の中程までにきまつてゐるがタイカッブのユニホームの袖は手の先までダラリと長くある。これが彼の特徴であつた。彼は他の人々のやうに無暗に練習をしない。冬になると鉄砲打ばかりに行く。彼自らいふ処によると「自分の鉄砲打ちに行くのは眼の練習のためだ、野球選手は打撃にでも守備にでも眼さへよければそれでいヽ、即ち狙いといふことが生命である、自分は冬になれば鉄砲の狙い撃で眼を養つてゐるのだ」

かういふ風に大選手の話を書いて行くと際限がないからこの位にして置いて最後に小職業團のことに及ぶが、小職業團とは大職業團の所在地たるニューヨーク、ブルックリン、シカゴ、ワシントン、フヰラデルフヰア、ピッツバーグ、デトロイト、クリーブランド、ボストン、シンシナチ、セントルイスを除いた他の重なる都市でそれぞれ組織してゐるもので、セントポール、バッフハローその他中部の重なる都市によつて組織されてゐるのをアメリカン・アッソシエーションといふ。又バーミンガムその他南部都市のサウザン・アッソシエーションといふがあるし、シアトル、サンフランシスコなどのパシフヰックコーストリーグといふもある。

この外に各地各方面でそれぞれリーグを作つてゐるから全部で小職業團リーグは十二三にも上るであらう。これがいづれも相當のグラウンドを持つてゐて毎日試合を行ひつヽある。つまり大職業團のない都市はこれ等小職業團の試合に熱狂するので見物の数からいつても大職業團に劣らぬ盛況さである。土地の新聞も大々的に書き立てシーズンになると第一流都市は大職業團第二流以下の都市は小職業團のリーグ戦で夢中になる訳である。又小職業団といつても大職業團から落ちてきた當年の大選手もゐればまさに大職業團に抜擢されんとする有望選手も潜んでゐるのだからその緊張振において少しの相違も見えぬ。


まだ書く事がないでもないが本社チームも昨日帰朝したからアトは各選手によつて専門的所見を記述せらるべく私はこれでかく筆するであらう(をはり)

大阪毎日新聞 大正14年8月7日