半職業團チームとの試合

私達が最も苦痛としたのは半職業チームとの試合であつた。なるべくはこれをさけたかつたが大學チームばかりでは豫定の試合数に満たなかつたのでやむを得ずスケヂュールの内に加へることにした。一体この半職業チームといふのはどういふ組織になつてゐるのかといふに大職業團若くは小職業團を本相撲とするならばこれは素人相撲若くは村相撲の格で大阪市ならば難波とか梅田とかに一つ位宛、それから堺とか西の宮とかの附近町村にそれぞれ存在してゐる。

大きな半職業團になるとかなりのグラウンドを持つてゐるものもあるが兎に角彼等は毎土曜若くは日曜に半職業同士と試合をして道楽半分相當の入場料をあげて行くのである。選手の中には一定のチームに加はつてゐないで何処にでも招聘に應じて行く浮浪者もゐる。これは主として投手に多いが一ゲーム二十ドル乃至三十ドルの報酬を受けつヽある。


大學との試合はその所在地が多く片田舎なので観衆もその附近の人々に限られてゐるが、半職業は都市に巣喰つてゐるのと所謂お客をひく宣傳に力を入れるのでいつも夥しい観衆がある。私達がニューヨークのブルックリンでブッシウヰックといふ半職業と試合をした時は少くも四千の観衆はあつた。バッフハローでは三千を下らなかつたらう。

然し半職業の観衆はいはゆる若い衆達であるので無邪気ではあるが決して柄のいヽ方ではない。さすがに私達はソレほどの悪罵は浴びせないが皮肉な悪彌次を飛ばしては喜んでゐる。一方半職業選手それ自身もやヽもすれば調子をおろしたり真面目を欠いたりして私達はかなり苦い目を見たか知れぬ。しかもその實力は非常の強味を持つてゐて、大抵は歯も立たないのである。

これは大リーグからの落武者もあるし兎に角半職業として永年鍛へてきてゐる手合なのだから無理もないが實はこの半職業は相手がないのに弱つてゐる。いつも同じ半職業同士では観衆を呼び得ないので私達の日本人チームを盛んに誘拐するのであつた。つまり顔触の稀らしいところを餌にして澤山の客を引かうといふにあるが、私達にしては迷惑千万であるからその過半は断つたがスケヂュールの都合で四日も五日も遊んでゐる訳にゆかないので、三四の半職業とは試合を行ふべく余儀なくされた。


六月廿一日の日曜、バッフハローの半職業との試合は一寸面白かつた。この日のグラウンドニュー・ビソーン・スタヂアムといつて小職業團のグラウンドであつたが試合は一時から開始せられ第一回はバッフハローの半職業イースター・ブランズとエルマジャージ自動車會社軍との顔合せでそれが済むとそのいづれかと本社軍との試合になる。つまりダブルヘッターであつた。

天氣もよかつたので約三千の観衆はあつたらう近頃の大入だといつてマネーヂャーは大喜びであつたが第一回の試合は八對二といふスコーアで自動車會社軍の大勝となりバッフハローの半職業は惨敗した。一体ならばその勝つた方が本社軍の相手になるのが當然であるに拘らず、マネーヂャーは土地のチームであるために負けた方の半職業を本社軍の相手とする旨を宣告したので三千の観衆は總立ちとなつて騒ぎ出した。「何故勝つた自動車軍を出さないのか」「不公平極まる決定を取消せ」「遠來のチームに對し失敬な取扱ではないか」「バッフハローの半職業は速に退場せよ」といつた怒罵と叫喚とが場を渦巻いて耳を聾するばかりである。

その内に私達が練習すべくグラウンドに出ると非常な喝采であつたが続いて半職業が入つて來ると観衆は憎悪に昂奮してもうつかみかヽるばかりの勢ひとなつた。全く殺氣立つて來たのでマネーヂャーその他はいろいろ言訳をしたが聞き入るべくもない、一時どうなることヽ思つたが無理に試合を決行して愈々プレー・ボールとなつた。


かうなると三千の観衆悉くが私達の声援者となつた。私達の一擧手一投足は悉く彼等が喝采の目標となり半職業の連中は出る者も出る者も一人残らずコツピドク悪罵を浴びせかけられるからさすがの海千山千も上り氣味となつた。實際私達はアメリカへ來てこれほどの声援を受けた事がなかつたからいヽ氣持ちになると共にスッカリ調子がよくなつた。守備もよく當たりもよく最初から敵を圧迫する形となつたから観衆は狂喜して拍手又拍手である。これに引替みじめなのは半職業で意氣全く沮喪して來る処へ渡邊投手の出來がよく打撃は次第に封じられて來ると満場嘲笑の波を打つて「そんなに打てないのならフットボールの球でも投げて貰へ」などヽ皮肉が飛ぶ。

この形勢を見て審判は驚いた。このまヽ進行すれば勿論勝利は日本人チームにある、さうなればこのバッフハローの半職業は土地の人々に合す顔もなくもう解散の外なからう、何さまこれは一大事であると見て取つた彼は三回目位から極端に不公平な宣告を下した。その悉くが私達に不利な事ばかりであつた。腰本主将は屡々抗議を提出した。三千の観衆はこの球審に向つて有ゆる罵詈を加へ「日本人よもうやめて退場し給へ」と大喝する者すらあつた。

球審は幾度かマスクを脱して観衆に弁解し場内はその度毎に沸騰したがつひに時間がないといふ理由で試合は七回で中止となり四對三といふクロスゲームで無理に半職業の勝利としてしまつて審判は遁ぐるが如く姿を消した。試合が済むとスタンドからは盛んにいろいろなものを投げ飛ばし中には私達の傍に來て親切に慰めてくれるのもあり、私達は負けながらも好い氣分で引上げたのであつた

大阪毎日新聞 大正14年7月29日

米國人の熾烈なる攻撃精神

私達は大學チーム、倶楽部チーム及び半職業と戦つて最も痛感したのは何かといふと、彼らの攻撃精神の熾烈なる一事であらねばならぬ。言葉を換えていへば顧みて私達の戦闘氣分が薄弱であつた事だ。私達はスポーツマン・シップとゼンツルマンライキとを取交ぜて勝敗は兎も角として立派に戦へといふことをモットーとしてゐた。然るに米國のスポーツマンは立派に戦ふことは願はしいがどんなことをしても勝たねばならぬといふことに出發してゐる。あへて喧嘩腰ではないが攻撃の場合は遮二無二敵を倒すといふこと以外そこに何等の遠慮も会釈も許されない。

例へば盗塁すべく塁に飛び込んで來る刹那の如き、アノ見上ぐるやうな大兵漢が獅子奮迅の勢ひを以て塁手を突き倒すべく体をブチ當てヽ來るのである。これには我大毎選手も實際辟易した。無論盗塁は危機一髪であるから機敏なる動作をあへてせねばならぬが米國選手のやうに自身の体を塁手にブチ當てヽ來るやうな獰猛な襲撃法は用意してゐなかつたのである。私達は俊敏軽快を■んでゐたが彼等は突撃猛襲を念としてゐた、戦ひを交ふるに當たつてまづこれだけの相違があつた。


試合開始前私達はグラウンドに出るとまづ軽いウオームアップをして肩をならすことに初まり、それから打撃の練習に移るを例とするが米國選手達はグラウンドに出るとすぐ打撃の練習に取りかヽつて続け得られるだけこれを続ける、即ち打撃第一主義である。勿論私達もこれを知らぬではなかつたがどうも攻撃の場合にはいはゆる突込みがたらぬ事は争はれなかつた。

それから私達は好守共に根強さに欠けてゐた。もつと執念深く突進せねばならぬと思つた。例へば私達が内野若くは外野に飛球をあげるとする、ソレは當然敵の掌中に取られさうだと思ふともう一塁に向つて走る事をしない、否走るにしても申訳ばかりに走つて見る。つまり思切りが早いのだが米國選手達は如何に容易な飛球を打ち上げても一生懸命に走れるだけ走る、一塁から二塁へと球が敵の掌中にシッカと握られるまでは疾走し続けるのであつた。

これはニューヨーク・ジャイアントのマグロー将軍が八釜しくいつてゐるところで、如何なる場合でも自ら攻撃を捨てかヽつてはならぬ、無駄と思つても走れるだけ走つて見よ、さうすれば敵に多少の狼狽を來して万一の過失を僥倖するかも知れぬといふのである。此方からあきらめてしまへば敵に安心を與へて楽に仕事をさせることになるのは當然であらねばならぬ、私達はあきらめがよすぎるのだ。


私達の武器はたヾ守備であつた。猛烈なる敵の攻撃に對して内野でも外野でもこれを喰いとめ得られるだけの手腕を有してゐたと共に、私達の投手は決して彼等に乱打をかうむるやうなことはなかつた。試合の成績は過半敗れてゐるけれども多くは一二点のクロスゲームであつたことは即ち私達の守備力が敵の攻撃を阻止し得た事を立証するものでもしそこに私達の攻撃力が今少しく有効であつたならば容易に勝利を握つたであらう。

要するに攻撃精神が足らなかつたのだが此外に走塁が如何にも貧弱であつた。米國選手と伍して何が一番目についたかといふとランニングの遅い一事であつた。塁を盗む場合に軽快隼の如き彼に比して是は遅々として牛歩のやう、選手としての資格の中においてランニングが最も重要な要素であるに拘らずそのランニングが私達の多くは不得意であつた。ニューヨークの新聞にもミシガンの新聞にも私達の批評が載つてゐたがいづれもランニングが著しく劣つてゐる事を強く指摘された。その代りに守備は激賞されたが私達に勝味の乏しかつたことは全く攻撃の諸要素に欠陥があるからである。


米國諸大學と試合する場合にいつもクロスゲームとなつて追ひつ追はれつしてゐるが結局最後になつて私達は敗れてしまふ。いかにいヽ試合をしても記録の上に敗北は敗北であるから私達はいつも無念の涙を呑んだのであるが観衆の悉くはそのゲームが互に接近しつヽ勝敗豫測すべからざる形勢にあるのでいづれも熱狂し経過を凝視してくれる。そして最後になつて同胞の方の勝利となるので彼等はもう満悦である

「グッドゲーム」かういふ賞賛を私達に投げてくれるが此方は決して有難いとは思はぬ。試合に勝たねば仮令それが好ゲームであらうとも何等の価値があらうぞ、私達はこの敗北の苦痛を嘗めながらホテルに引揚ていろいろと研究するを例としたがまことに私達の今回の野球興行は涙と汗の結晶であつた。

大阪毎日新聞 大正14年7月30日

眞剣味の漲る大職業野球戦

米國大職業野球團のナショナルリーグ及びアメリカンリーグのことはこヽに説くまでもなく大体は知られてゐるが、春から秋へかけての六ヶ月間、このリーグ戦が初まると今更のやうに野球のアメリカといふことが直感される。即ちこの六ヶ月間は二大リーグ所属チームの所在都市なるニューヨーク、ブルックリン、シカゴ、フヰラデルフヰア、ワシントン、ボストン、ピッツバーク、デトロイト、クリーブランド、セントルイ、シンシンナチ各地は殆ど毎日のやうにリーグ戦が行はれ全國新聞紙の運動ページは勿論夕刊新聞の如きは野球記事によつてその第一ページを埋め尽くすのである。

一時日本の新聞紙は東京國技館大相撲の記事を社會部面に満載し一月と五月とは相撲新聞の観を呈したが野球シーズンの米國新聞紙はそれと同じで都鄙を通じてその興味は一般的であり大學のスポーツとしてはフットボールから駆逐されたがいはゆる職業野球は全く米國の國技として有ゆる人々の興味の目標となりつヽある。


前に擧げた大リーグ所在地の十一都市にはいづれも四五万人を収容し得るグラウンドがあつて其処で毎日のやうに試合があるのだが大抵二万人平均の観衆はある。グラウンドの最大なのはニューヨークヤンキースのヤンキースタジアムでこれは全部鉄筋コンクリート三層建スタンドの5万5千を収容し得られる。廣さからいへば甲子園グラウンドの如きは大きい方だが米國のはスタンドが二層三層であるので割合に収容力がある。

入場料はグランドスタンドが一ドル(外に戦時税十セント)ボックスが二ドル(戦時税廿セント)といふことに一定してゐるが、日曜日に好試合でもあると忽ち満員となつてしまふ、私はシカゴで時試合開始一時間前に行つたがもう三階の最端でなければ座席が取れなかつた。


試合は正確に三時半(日曜は三時)を以て開始されフリーバッテイング並びにフヰルデイングが済むとグラウンドの地ならしをして水を撒いていよいよプレイボールとなる。試合が初まるともう場内は声援と彌次とで鼎の湧くやうな有様は國技館の見物が絶えずワアワアいつてゐるのと少しも変らない。その内にフワウルボールで球がスタンドに飛込んで來るとソレを拾はうとするので大騒ぎとなる。はげ頭の紳士も八百屋の若い者もこけつ転びつしてその球を奪ひ合ふのである。ソレを側から手を打つて囃したてる。漸くのことで球が何人かのポケットに納まると共にこの騒ぎは静まるのであるがスタンドに飛び込んで來る球は必ず奪い取ることに極められてゐる。

多くの場合において禮譲と儀式との拘束に苦しむ人々もグラウンド内では全くの自由に解放せらるヽので忽ち少年の無邪氣に返るのであらう。それから如何なる場所にも横行闊歩する婦人が野球だけにはまた頗る少いのは意外とするところで婦人の観衆は全体の一割にも満たず只今では野球は全く男子の專有といつて差支へない。


大職業團の試合は極めて真面目なものであつた。或は謹厳とまでいひ得るかも知れない。大學チームなどは試合が初まると選手達は盛んにペチャペチャ饒舌る。けれども大職業選手になると断じて一語をも發する事なく互に黙として戦いを交ふるのであつた。勿論コーチヤアが三塁側につくけれどもこれとて手を拍つて味方を激励するだけに過ぎぬ。そこに眞個の眞剣味が漲つてゐるばかりである。

一つのリーグに二十六七人の選手がゐる。その内六七人は投手でその投手を除けばレギュラー・シートは時に変ることはあるが大抵シーズン中は動かさないものとされてゐる。従つて打撃順も一定されてゐるので日本のやうにゲーム毎に臨機に打撃順を変へるやうなことはしない。だからフリー・バッテイングなども少しの混雑はなく各自の順番に従つてドシドシボックスに立つて打ち捲くる。それを六七人の投手が代る代る投げてやるのだから殆どボールはなくてまるで釣瓶打だ。

投手も六七人ゐるのだから五六回に一度出場すればよいわけで肩の休養は思ふまヽに取られるのだが近來における打撃の進歩は如何なる投手でも全く敵を封ずる事は不可能に属しやヽもすれば乱打を蒙る場合が多いのである。そして少し打たれだせば直ぐ投手を取かへてしまふ。又投手自身も安打が三度も続けば自分から退場を申出るので休養中の投手と雖も何時ひつぱり出されるか分らぬ。だから試合中両軍共に少し味方の投手が打たれ出しかけたと見ると直にグラウンドの隅の方で二三豫備投手の練習を行はしめ、万一の用意に備ふるのである。

大阪毎日新聞 大正14年8月3日