ルールを決めると言う事

いわゆる代理人制度が暫定的に導入されている。経営側、選手側、いろいろ言いたい事はあるだろうがとにかく代理人を認めたと言う事である。
さて、その事について経営側からは『代理人を連れてきたら減俸』だとか『野球の話に法律家は必要ない』という発言が出ているようだ。選手側も選手側で、交渉に不満があると『次は代理人を連れてくる』と脅し文句のように言う。一体彼らは、『代理人を使う事を合意』した事についてどう考えているのだろうか。

経営側に問いたい。合意した事にいつまでぐずぐずと不満を言いつづけるつもりなのか。
選手側に問いたい。なぜ代理人制度を研究し、最初から連れてこないのか。代理人とは自分が不服な時だけ経営側を脅してくれる存在なのか。
経営側も選手側も新しい制度をより良く運用しようと考えないのなら、なぜ合意したのか。

立場の違う人の間にトラブルが起きるのは自然な事である。その時にスムースにトラブルを回避する為にルールは決められる。その為にもルールを理解しなければいけない。そうしてルールを活用する事が違和感なく行われるように努力するべきである。

ところが今までのプロ野球界ではどうであっただろう。年俸交渉がこじれて調停委に持ち込まれるとその選手に対して好意的な声はおきなかった。それどころかあからさまに不愉快で迷惑だと言わんばかりのコメントが出てくる。何のための調停委だったのだろう。そうしてこのままでは代理人を使う事も同様の扱いとなるだろう。

真のプロ野球の父、河野安通志氏は戦前の野球用語日本語化の動きに『言葉を変えるともはやベースボールではない』と言って最後まで強硬に反対した人物である。しかしながら日本語化を進める側にも言い分がある。時代の中でプロ野球の灯を消してはいけないと言う思いである。この考えは連盟の中で多数を占め、河野氏の主張は入れられずに野球用語の日本語化が決定された。すると決定した直後から熱心に審判団に日本語でコールする事を指導、練習する河野氏の姿があったという。

ルールを決める事、スムースに運用するという事とは、つまりこういうことである。球団側も選手側も歴史を知り、偉大なる先人を見習って欲しい。

2000/12/20


『読売史観』の始まり

巨人に関わる人達がよく使う言葉『巨人は常勝でなくてはならない』
これは他球団のファンにとって非常に抵抗のある言葉であるが、巨人OBや球団関係者、あるいは一部ファンまで自然に使っているようだ。常勝チームでなくてはいけない強迫観念が飽くなき補強に突き進んでいる理由であろう。

ではなぜ常勝でなくてはならないのだろうか。これも良く使われる言葉で説明される。『巨人は球界の盟主』だからである。これを辿っていくと『巨人=正力松太郎がプロ野球を作った』という『事実』が『巨人=盟主』という説の根源になっていることに気付く。その結果、巨人に先行するプロ野球団がまったく無視されていった。今でも巨人の公式HPのヒストリーでは『日本最初のプロ球団』と表記されている。

『プロ野球誕生前夜』の著者、東田一朔氏によると正力松太郎が「日本最初のプロ野球団を作ったのは俺だ」とあまり何度もいうので「それは違う。日本最初のプロ球団は芝浦の運動協会軍で、その次が天勝野球団、そして芝浦を継いだ宝塚運動協会である」と説明したが正力は、「職業野球に相手の職業野球団がなくてはプロではない。だから東京巨人軍が第一号なのだ」といって聞かない。「当時、もう一つの職業野球団として天勝球団があった」というと「人がしらんような者はプロではない」とうそぶいたという。

芝浦協会初代主将でエース、宝塚から巨人結成に参加した山本栄一郎はそのスクラップブックの『日本初のプロ野球=巨人軍結成』を伝える新聞の見出しに「正確には4番目なり!!」と赤いインクで書き込んでいる。

早稲田の大選手だった河野安通志らが中心となり、大正9年の設立から昭和4年の解散までプロ野球として存在した芝浦―宝塚運動協会の存在を知らない野球人はいなかっただろう。大日本東京野球倶楽部=東京巨人軍の結成は昭和9年。宝塚運動協会が解散してわずか5年後の事である。

正力は野球という競技に愛着がある訳ではなく、興行的価値のみに興味があったようである。芝浦―宝塚時代から球団と球場の一体を理想としてきた野球界はプロ化と共にセネタースが上井草球場を、大東京が洲崎球場を、阪急が西宮球場を建設し、甲子園を持つタイガース、鳴海球場を使用する名古屋軍と自軍用の球場を用意したが、巨人は自軍用の球場を作ろうとしなかった。後楽園スタヂアムは本来イーグルスが本拠地とする為に河野安通志が奔走して完成させたものである。

プロ野球の発展と共に最も多くの恩恵を受けたのは他ならぬ読売新聞である。昭和9年の巨人軍結成時に約58万部だった発行部数は昭和19年には約192万部と大きく伸ばし、朝日、毎日と肩を並べるところまで急成長している。

このことを見ても、巨人が常勝でなければならない理由はただ一つ、読売グループの利益の為である。それを正当化するための大義名分が『巨人は球界の盟主』であり『日本最初のプロ球団』の称号に固執する理由であろう。そうして正力は『プロ野球の父』の称号を得ている。アマ球界の重鎮、飛田穂洲は「河野安通志、押川清両氏のほかにプロ野球の父と呼べる人物はいない」と批判している。

逆指名やFA、一極集中のマスコミ報道。これを歪んだプロ野球の形と見るならば、それを正当化する『巨人は日本最初のプロ野球団であり、球界の盟主である。だから常に優勝を求められる』という『読売史観』を捨てるべきである。利益の為に優勝したいというのは全ての球団に共通であり、なにも巨人が特別な訳ではないのである。特別であるのは、読売だけがプロ野球を利用して企業を巨大化したということである。

2000/12/03


『自ら希望する』ということ〜逆指名論〜

オリックス1位指名内海投手を巡って高校生にも逆指名権をという意見が出ている。選手自らの希望の球団に入団出来ないのがかわいそうなのだそうだ。一体逆指名制度は選手に幸せをもたらすものなのだろうか。

そもそも球団と選手の契約に選手の希望は反映していない。今年のドラフトでは多い球団で9名の新人を指名した。いくら選手側が希望をしてもそれ以上の契約は出来ないであろう。ここで人気球団を希望する10番目以降の選手はその希望がかなえられない事になってくる。つまり、きれい事を行っても球団側には選手の希望をすべてかなえるだけの能力はないのである。

結果的に選手達の希望を切り捨てていく事になる。選手たちはプロの世界で何らかの実績を上げているわけではない。その彼らを順位付けるのはスカウトにせよテストにせよあくまで球団主導なのである。ドラフト指名順位が選手達の能力順位でない事はこれまでのドラフトが示している。つまり選手たちは客観性の乏しい球団の主観によって選別されているのである。ここでは選手の希望ではなく球団の希望がかなえられたという事である。

さて、運良く希望球団と契約できたとしよう。翌年にも同じ事が起き、9人の選手が新規契約する。これを8年続けると72名になる。高校卒業と同時に希望球団と契約できた選手は、26歳で後から来た選手にトコロテン式に追い出されていくのである。あるいは自由契約に、あるいは自ら希望しなかった球団へのトレードにという結末を迎える。

もちろん球団の強化方針により外国人選手とも契約するし、トレードでやってくる選手もいる。そして自らの希望を主張する権利をもったFA選手もやってくる。そうなればもっと早い時期に自らの希望を球団側から否定される事になる。そして『競争に敗れた』と簡単な言葉で締めくくられるのである。

むろんそういう厳しい競争を運良く勝ち抜き一軍枠28人に残る選手もいるだろう。レギュラー野手が8〜10人、主力投手が5人程度。このあたりが比較的どの球団でも主力選手と言える。ここまで来れば希望はかなえられたと言えるだろう。合計15人程度。この内FA補強選手が2〜3名、外国人選手も2〜3名。残る10程のポジションを争うわけである。

それはつまり自分達より以前に球団と契約している選手たちが生き残って確保している枠であり、競争はより厳しい。ここに勝ち残って年数と試合数を確保すればFA権を得る事が出来る。数少ないエリート選手と言えるだろう。

結局、選手の希望を入れるというのは極僅かのスター選手にのみ許される事であり、最も希望がかなっているのは一部の人気球団である。選手にしても球団にしてもピラミッドを支える底辺にしわ寄せをして頂上のみが繁栄しようという考え方で全体の成長などありえるわけがないのである。そして『一部の利益』のためであるという事が明白であるのに、『全ての選手の自由』とか『選手個人の希望』という耳ざわりのいい言葉で誤魔化しているのである。

逆指名とは自由競争そのものに他ならない。そして自由競争の中に選手個人の自由など存在しないのである。

2000/11/26


『長島茂雄』はどこへ行った?

長島茂雄がスーパースターである事に異論のある人はまずいないであろう。
スーパースターは従来の野球の常識の殻を打ち破って登場し、それ以降の野球の姿を変えてしまう存在である。常識の延長線上にその凄さを見せつけた大スターは数多くいるが、野球を変えるほどのスーパースターというと大下弘、長島茂雄、イチローであろう。その中でも時代のすべてを味方につけたのが長島茂雄であった。

人気球団の中心選手として空前絶後の9連覇を成し遂げ、それは日本そのものの高度経済成長と重なり、TVが一般家庭に当り前のものとなっていく過程で、長島茂雄こそプロ野球そのもの、あるいは自らの青春、人生そのものとまで思えるファンを生み出していったのである。プロ野球人気を見るとき、大下が明けの明星、イチローが宵の明星とすれば、長島は満天に輝く太陽であった。


やがて選手長島は引退し、監督として新たな挑戦を試みる。しかしドラフト制度導入から10年が経ち各チームの戦力差が減少し、時代は群雄割拠の様相を呈していた。V9を支えた川上野球からの脱却を目指し、自らの理想とするチームを作り上げるために若手を鍛え上げたが『常勝』という幻想に取り付かれている球団上層部に認められず、監督辞任に追い込まれる。

『スーパースターを見捨てた球団』に対するファンの批判はすさまじかった。優勝から遠ざかり長島の監督手腕を疑問視していたファンの声はいつのまにか消え、いま自分の目の前から消えようとしているスーパースターを惜しむ気持ちが球団批判へと走らせた。また長島も理想のチーム作りより現実の勝利が優先するという球団論理の中で大きな挫折を味わっていた。

このときの経験は球団、長島、ファンの三者に大きな『トラウマ』となって残った。三者とも次の機会にはもう同じ悪夢を見ることは何としても避けなければという思いになっていった。

やがて『次の機会』は訪れた。Jリーグ人気が盛り上がる1992年秋にスーパースター『長島茂雄』は『長嶋茂雄』となって球界に復帰する。球界の盟主を自認する球団は野球人気の危機を煽りながら主導権をもってこの年から所謂『逆指名ドラフト』、翌年にはFA制度を導入して戦力強化の道を作っていった。

『長嶋茂雄』はもはや『長島茂雄』ではなかった。チーム力強化のために既存戦力を鍛え上げるよりも、新たなる戦力を必要とした。球団もまた『長島辞任劇』の悪夢を避ける為に長嶋の望む戦力を獲得していった。ファンはやっと帰ってきたスーパースターの中に自らの青春、人生を見出し盲目的に支持した。マスコミの中の長嶋ファンは無条件に長嶋を賛美し、『長島茂雄』を知らない世代は『人間的魅力』と称して長嶋の言動を笑いものにする番組を制作した。

スポーツの多様化、メディアの多様化の中で、球団、長島、ファンの中に残った『トラウマ』は『長嶋監督復帰』をパンドラの箱にした。逆指名、FA、メジャー流出と続く日本プロ野球の変質の中で積み木を下から抜いて上に積むような見せ掛けの繁栄の中、ON決戦という最後のカードがパンドラの箱から飛び出した。

『長嶋茂雄』がもう『長島茂雄』に戻れないのなら、箱に残る最後の希望は、球団、長嶋、そしてファンとマスコミの『長嶋茂雄からの引退』ではないだろうか。

追記
『長島』と『長嶋』のどちらが正しいのか、あるいはどこかで改名したのか実はよく分かりません。巨人公式HPの歴代監督欄では改名した水原茂氏は一時期『円裕』と表記されていますが長嶋茂雄氏は一貫して『長嶋』と表記しています。しかし朝日新聞によると立教大学時代から第一次監督辞任までは一貫して『長島』と表記していますし、スポニチ縮小版では昭和33年のみ『長嶋』翌年からは『長島』と表記していますので、このコラムにおいては現役時代と第一次監督時代の一般的表記として『長島茂雄』を使用しています。

2000/11/19


言霊の国のプロ野球

今年もドラフトの季節がやってきた。『逆指名』選手が『入団』する。
結果的には逆指名宣言がされたが、大学球界No.1と言われる投手が、相思相愛といわれた球団の親会社の経営不安で直前に逆指名をしないのではないかと言う報道が流れた。

些細な事かも知れないが、ここで少し気になったこと。彼(というよりはその周辺のようだが)はプロへ入ることを、一般学生の就職と同じように考えているのではないだろうか?もちろん彼に限らずだが。そう考えた時に『入団』という言葉が、妙な違和感を持って聞こえてきた。

学校に入るから『入学』、会社に入るから『入社』、では球団に入るから『入団』?
プロ野球選手は、その技量を商品として球団と契約するのである。決して、学校や会社の庇護の中で組織の一員になっている訳ではないのである。

『プロ』と名乗るからには、すべて自己責任の世界である。万一親会社に何かあって、球団の存続が危うくなったなら自らの技量でより良い契約先を探せば良いだけの話である。逆に自らの技量が『プロ』として契約に値しなくなれば、その居場所がなくなるのである。

そういう厳しい契約社会に生きている事を誤魔化すかのように『入団』という言葉を使う。私が愛読する井沢元彦氏の著書で多用される『言霊』という言葉が思い出される。我々日本人は言葉に縛られる民族だそうだ。契約と言う厳しさを和らげ、球団がいつまでも面倒を見てくれるかのような幻想を抱かせるのに『入団』という言葉は有効なのだろう。

言葉の問題を挙げるときりがないが、もうひとつ、『逆指名』について触れてみよう。
『逆指名』、いかにも選手個人に主導権があるかのような言葉である。しかも球団側の『指名』で成り立っているドラフト制度の範疇にあるかのような言葉である。

しかしその実体は自由競争に他ならない。現在の新人獲得は各球団最大2名枠を持った自由競争と、その枠から外れた選手達を対象にしたドラフト制度が並立しているのである。あくまでドラフト制度を守るという建前を守る為に自由競争で獲得した選手をドラフトで指名するというセレモニーまで行う。

もういいかげん言葉で誤魔化すのは止したらどうだろうか。言葉を変えても実態が変わるわけではない。ならば実態に即した言葉を使い、問題点を明らかにすべきだと思う。

2000/11/10


『読売史観』を否定する

今の日本プロ野球に問題なしと言えるだろうか?
『企業努力』という言葉が単に資本力だけを指す言葉になり、『自由』な『権利』は金額に置き換えられる。巨大戦力を誇るチームが国内一を誇る年に、トッププロ選手が参加した国際試合では無残に敗れる。老いたスーパースターの幻想に浮かれている時、輝ける若きスーパースターはアメリカを目指す。

既得権には敏感で、理念理想は軽んじられる。いつからこんなプロ野球になってしまったのだろう。
僅かな歪みが、遠く離れると大きな乖離となる。今起きていることの本質を知るために、歴史を見直したいと思う。

歴史とはいきなり始まったりはしない。回りの影響を受けないまま進む事もありえない。けれどこの国のプロ野球史は突然始まり、閉鎖的なまま推移している。いや、そう思い込んでいるだけである。

『ある日正力松太郎が思いつき、偶然沢村栄治が現れて、日本プロ野球が始まった』

それは、『読売史観』の中の世界である。巨人軍が現れる14年前に日本にプロ野球は出現している。プロ球団同士の試合も行われている。彼らの息吹は『日本職業野球連盟』の中にも生き続けている。そして、その外側にもプロ野球の歴史は息づいている。

『光あるところに影がある。栄光の陰に数知れぬ影があった』これは私が少年時代に夢中で見ていたTVアニメ『サスケ』の冒頭ナレーションの一節である。このHPで『読売史観』にかき消された歴史の影たちを追いかけてみたいと思う。そしてそれが新世紀の『あるべき日本プロ野球の姿』につながることを期待しつつ。

2000/11/5