『人気のセ、実力のパ』

2リーグ分立から51年経ちましたが、この言葉はいつ頃できたものでしょうか?人によっては、秋山、清原を擁した西武ライオンズ全盛時代を連想するかも知れません。確かに’86〜’88、’90〜’92年と7年間に6度の日本一に輝いた西武黄金時代は『実力のパ』にふさわしい時代に思えます。それでは巨人の9連覇はどうでしょうか?『実力のセ』だったのでしょうか?実は著者はV9後半の記憶があります。そして『人気のセ、実力のパ』という言葉は当時すでに存在していました。これはどういうことでしょうか?

 先日野球殿堂入りした元パ・リーグ会長、中沢不二夫氏が会長在職中の’59〜’65年に書き留めた数々の提言をまとめた本(「遺稿プロ野球」1965年8月、オリオン社・刊)があります。そこに興味深い記述を見つけました。

 「最近のスポーツ紙や週刊誌に『実力はパ・リーグ、人気はセ・リーグ』という対句がつかわれている。(略)これは第三者の判断に誤りがあるためらしい。(略)入場者が多いのは人気が高い証拠である…と結論して『人気はセ・リーグ』と思いこんでの対句である」

 つまり中沢氏在職中の頃に『人気のセ、実力のパ』という対句が生まれたというのです。しかもそれに対して氏は『第三者の判断に誤り』と批判しています。その理由として氏は当時セ・リーグで行なわれていた“変則ダブル”(同じ球場で同じ日に複数の球団が主催ゲームを行なうこと)という興行法に疑問を投げかけ、次のように述べています。

 「巨人戦(後楽園)の入場者は大体において四万、多い時は四万五千となっている(略)第一試合を行なう国鉄戦の入場者も三万なり四万なりと発表されているから、一日に八万なり八万五千の入場者があったことになる。(略)一日に入れ替えもしない四万の観衆を八万と二倍に計算しておいて…わが方の入場者は多いといっているとしたら、これは全く架空の入場者に等しい。これに対してパ・リーグは南海も近鉄も有料入場者数を発表し、セ・リーグの方は目測で三万五千だ、四万五千くらいと見込んで発表しているとしたら果たして『人気はセ・リーグ』…その理由は入場者が多い…といえるだろうか。」

 現在ではセ・リーグの人気がパ・リーグより上だといっても異論のある方はいないでしょう。しかし当時のパ・リーグ会長は実態として人気で負けていないと主張しています。当時の観客動員を見てみましょう。セ・パ両リーグの観客動員数は1953年に3,578,573人対3,475,700人とほぼ拮抗したのを最後に徐々に差が開き始め、1957年にはパはセのほぼ半分近くまで落ち込んでしまいます。一方、変則ダブルで名指し批判している国鉄スワローズの観客動員は創立以来40万人前後の観客動員で推移していましたが、この年一気に90万人を超えます。

 中沢氏が会長に就任した1959年には西鉄ライオンズ3連覇の後を受けた南海ホークスによってセ・リーグ一の人気球団・巨人を相手に4年連続でのパ・リーグ球団日本一。この年に観客動員はセ・リーグの約8割程度まで回復します。東京の大毎オリオンズ、大阪の南海、福岡の西鉄とパ・リーグを引っ張る人気3球団に加え、この年3位に食い込んだ東映フライヤーズまでもがセ・リーグで4年連続2位の成績を残した大阪タイガースの観客動員を上回った年でもありました。

 この年の観客動員を見ると、セ・リーグは3球団が100人単位の発表だったのに比べ、パ・リーグは首位南海から最下位近鉄まですべて10人単位以下、内3球団が一桁単位まで発表しています。どうやらこの年が中沢氏の記述に対応するシーズンのようです。そうすると『人気のセ、実力のパ』とは、パ・リーグの意地をあらわした言葉ではなく、むしろパ・リーグのプライドを傷つける言葉だったわけです。

 その後の日本シリーズは’60年大洋、’61年巨人、’62年東映、’63年巨人、’64年南海、とセ・リーグ球団の3勝2敗になり、『実力のパ』の影がだんだん薄れていきます。そして’65年からいよいよ巨人のV9がスタート、これから9年間パ・リーグは日本一を奪えませんでした。そして観客動員は着々と差が開き、巨人V9時代はほとんどセ・リーグの半分以下という年が続きます。皮肉にもパ・リーグが否定したかった『人気のセ』は厳然とした事実として突きつけられていきました。

 人気の差を決定付けたのはテレビの登場でしょう。西鉄3連覇が始まる’56年にわずか42万件だったTV受信契約数は4年後の南海優勝時には415万件となり、巨人V9スタートの年には1,822万件と急速に普及しました。TV本放送が始まった’53年には巨人の観客動員は南海の1.36倍にしか過ぎませんでしたが、V9初年にはパ・リーグ一の観客動員をした東映の実に3.53倍、セ・リーグ2位の動員をした中日ドラゴンズと比べても2.08倍とその人気の突出が際立ってきます。

 ここでちょっと疑問が生まれました。どうして今に至るまで『人気のセ、実力のパ』という言葉が残ったのでしょうか?巨人V9時代は『人気も実力もセ』ではなかったのでしょうか?そういえばセ・パ対抗は日本シリーズだけではありませんでした。オールスターゲーム、考えてみればこちらの方がセ・パ対抗と呼ぶのにふさわしいですね。

 それではオールスターゲームは当時どれくらいの注目度があったのでしょう?観客動員で見ると2リーグ分立からの5年間(’50〜’54、ただし’50は実施せず)での平均動員数は35,806人、同時期の日本シリーズ24,661人、ペナントレースのセ・リーグ平均7,168人、パ・リーグ平均5,742人。オールスターゲームは2リーグ分立当初もっともプロ野球ファンの注目を集めるイベントでした。

 巨人V9時代を含む 10年間('65〜’74年)のオールスターゲームの成績を見てみましょう。10年間に30試合行なわれ、セ・リーグ8勝、パ・リーグ20勝、引分2試合。パ・リーグの勝率.714、勝ち越した年は8回、一度も負けなかった年が4回、まさに圧勝です。この期間中の日本シリーズとオールスターゲームそれぞれの1試合あたり観客動員数を調べてみると日本シリーズ29,560人、オールスターゲーム29,621人とわずかながらオールスターが上回ります。この注目度の高いオールスターゲームで勝ち続けたことが『実力のパ』という評価を決定付けたといえるでしょう。そして人気の差がどうしようもなく大きく開いていく中で、この言葉がパ・リーグの意地をあらわす言葉に変化していったものと思われます。

 オールスターゲームの成績はその後セ・パ拮抗からセ・リーグの優位へと変化していきます。’75〜’84年はセ・リーグの15勝14敗1分、’85〜’94年はパ・リーグの13勝11敗1分、そして’95以降の7年間ではセ・リーグの11勝5敗2分。一方の観客動員は西武黄金時代にセ・リーグの7割前後となり、福岡ダイエーホークスの動員力向上によって昨シーズンは約8割まで回復しました。動員数では巨人は福岡ダイエーのわずか1.22倍であり、過去の人気突出は観客動員で見る限りかなり改善されたといえます。

 かつてパ・リーグの人気を支えた西鉄、南海。TVの普及がもう10年、いや、もう5年でも早ければセ・パ両リーグの人気は拮抗していたことでしょう。栄光の西鉄ライオンズが崩壊していくとともに凋落したパ・リーグ人気。南海ホークスの末裔たる福岡ダイエーホークスが、西鉄ライオンズゆかりの地で人気球団として復活するとともに回復しつつあるかつての『人気』…なにか縁を感じますね。願わくば凋落しつつある実力を取り戻して『人気も実力も拮抗』という時代が来て欲しいと思います。

この原稿はメールマガジンBaseball Monthly 2002年4月号に掲載されたものです