6村人の暮らし・漁民

 セネガルは大西洋に面し、ダカールは古くから港として栄えたことはすでにお話した。それは主として商業の面での話だが,セネガル、モーリタニア付近の沖合いには寒流と暖流の合流するところがあり格好の漁場になっているそうだ。そのため海産物はピーナッツと共に重要な輸出商品になっている。
 大西洋に面した街の漁港をのぞくと実に様々な種類の魚を見ることができる。海はつながっているからだろうか、そのほとんどは日本で目にするものと同じものだ。カツオ、カマス、鮫、サヨリ、鯛、ぼら、いわし、アジ、ふぐ、うつぼ、エイ、ヒラメ、ハタなどなど。その他にはタコ、イカ、えび、イセエビ、さざえなどもある。いずれも日本で知っているものと形に若干違いがあるようだがたいした違いではない。
 これらの魚は外洋でとるわけだが、舟は小さなものだ。沖縄のサバニと呼ばれている舟と同じく、3枚の板でできている。長さは8m前後ほど。赤、青、緑、黄色、といった鮮やかな色で塗られ、船主の名や、信仰するイスラム教の坊様の名が書かれていたりする。この舟に船外機をつけて元気よく外海に出て行くのだ。私は外洋の漁についていったことはないのでどんな方法で魚をとるのか知らないが、どの舟も夕方5時頃に浜に帰ってくる。
 それから浜辺は大賑わいだ。雨合羽を着て頭の上の大きな籠に魚を山盛りにして運ぶ男たちがいる。漁師と交渉して仕入れたばかりの魚を浜辺に並べて商売をする女たちがいる。ひらめ、はた、いか、たこなどの高級魚はヨーロッパへ空輸するために素早く大きな冷蔵車にのせられる。一方いわし、ぼら等の大衆魚は内陸の町や村へ運ばれる。特にいわしは最もよく食べられている魚で、浜辺にはこのいわしを村に売りに行く馬車でごったがえしている。あちこちで漁師と仲買人の交渉が行われ、その隙間を行商人が縫って歩く。面白いことに本来漁港でしかないこの浜辺で靴、服、かばん、帽子、布、石鹸、ありとあらゆる日用雑貨が手に入る。まとまった現金がやり取りされる数少ない場だからなのだろう。そういった意味では浜辺は市場のようでもある。現在このような光景が見られるのは首都ダカールから少し離れたジョアールなどの街だ。以前はもっとダカールに近い港が輸出用の海産物の水揚げで賑わったというが、年々漁獲量が減るにしたがってより首都から離れた街にその中心が移ってきているという。
 このような水産業でにぎわう大きな都市以外の村では村人が毎日食べるための魚をとる漁師たちがいる。私の暮らしたフィムラ村も内海に面しておりそういった漁師たちがいた。彼らの獲物は主にぼらとティラピアだ。私は夕方になると犬を連れて内海で泳ぐのが日課だった。そしてちょうどその頃が村の漁師たちの仕事の時間でもあった。ずいぶん気さくな連中で、よく誘われて漁についていった。岸辺に木にくくりつけられてキュウキュウと鳴いている犬をおいたまま。
 漁に使う舟は多少小さいが外洋で使われるものと同じ形である。岸からさほど離れないところで漁をするので少々古くてもおかまいなしだ。父親が漁をしている傍らで小さな息子がどんどん漏れてくる水をくみ出すなんて光景も見られたりする。もちろん船外機なんて必要なく、櫂で十分だし、場合によっては帆を立てる。この帆が感心することには米袋を沢山縫い合わせたものである。それでも十分役に立ち、風さえあればすべるように舟は走る。ぼらの漁には刺し網を使う。幅2m、長さ100m近い網を流し、これに突き刺さったり、絡まった魚をとる。ティラピアは岸辺に程近いマングローブの木陰に多いので、投網でとる。
 これらの魚はすぐ漁師たちの奥さん連中によって村の中心のマルシェ(露天市)で売られる。新鮮で安い。ティラピアは1kgで100cfa(牛肉は1600cfa/kg)。このぐらいでないと村人たちの口には入らない。その他、季節によっては海老漁も行われていた。5cmほどの小型の海老で、もっぱらヨーロッパへの輸出用。海老漁は夜行う。小舟に若者たちがぎっしり乗って漕ぎ出し、明かりを使って網ですくうのだ。身動きできないほど乗り込むことや、夜の漁で勝手が違うせいもあるのか、転落して溺死するということもあった。
 漁師たちの生活の舞台であり、村人たちのトイレであり、水浴び場であり、馬やヤギを洗う場であり、私の犬も洗い、ついでにちょっと泳ぐ場であった内海。今でも思い出すことがある。

 

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