13家政婦

 2年あまりの村での暮らしのあいだ、わたしはボンヌを雇っていた。ボンヌとはフランス語で家政婦のこと。若造が家政婦を雇うなんてなんて偉そうな!というむきもいようがこの国ではいたって普通のことだ。都市部では外国人や中流以上の家には必ず、農村部でも公務員などの現金収入のある一人暮しの人はたいていボンヌを雇っていた。農村部では電気、水道がないことが珍しくなく、水汲みと洗濯が一仕事である。また現金収入のあてが非常にかぎられている地域ではボンヌという仕事はは双方にとって大切だと思う。
 さて、わたしのボンヌは家を借りたときに自動的に決まった。というのも前述の管理人であるバカリじいさんと交渉の際、つきましてはボンヌにはうちの娘をということになったわけだ。念のために歳を聞くと「15歳。」という返事。水汲みのバケツは30リットルなので大丈夫かいな・・と少々心配ではあった。がバカリじいさんの家は大家族なので候補者はほかにもおり、働き具合を見る仮契約ということで了解した。
 そうして約束の最初の日。やってきたのがンバだった。しかしどう見ても15歳には見えないので聞くと22歳だという。15歳は「あのジャポネだけは堪忍してくれ」と泣いて頼み、しょうがないねとお姉ちゃんの出番となったのか真相はつまびらかではない。でも予定は常に変更されるものなので結果がよければ問題ないのだ。
 ンバは毎朝7時から8時くらいの間にやってくる。たいていは自分の家で水汲みなど一仕事終えてからくるようだが、ねぼけまなこであきらかに寝起きということもあった。仕事はまず部屋の掃き掃除から始まる。わたしの家は8畳ほどの部屋が2つと、1畳ほどの台所用の空間のあるセメント造りだ。それをやしの葉の細かく裂いたものを束ねただけの簡単な箒でサッサッと掃いていく。蚊帳をたくし上げ、ベッドを移動し手際がいい。椅子の下で眠りこけているくろねこのゴロウタも容赦なく掃き出される。
 掃き掃除のあとは水汲み。トイレと台所とあわせて30リットルのたらい3つ。わたしの村は幸いなことに地下水が豊富だった。しかも水質にも恵まれていた。さらにそんな井戸が隣の家にあった。そんな珍しいくらいの環境だった。同じ村でも中心部ではトイレがあるせいだろうか、飲用にはならない井戸がいくつもあった。またファティック州でも村によっては井戸の深さが30〜40mにもなる。ただでさえ歩きにくい深い深い砂の中を数百m歩き、30リットルの水桶を頭にのせて運ぶ。その水も乾季の終わりにはひどく減り、底をかすって泥の混じった水を汲み、またじわじわと湧いてくる水を待たねばならない。
 水汲みを自分でやってみたことがある。30リットルの水桶は何とか頭の上にはのるのだが、歩き始めると進むごとにこぼれていく。おまけに日本人は手足が短いから頭の上の水桶のふちに余裕を持って両手がかからない。苦しいのである。わずか30m足らずで水は半分になっていて、見ていたンバは喜びすぎである。
 話が前後したが水はタイヤチューブで作ったバケツや、エンジンオイルの容器にひもをつけたもので井戸から汲み上げる。頭が痛くないように、また安定のために布を輪にしてかませるだけで160センチに足りないやせた娘が30リットルの水を運ぶ。しかも傍目には雑作なく。あれは一種の芸だと思う。
 もうひとつの大仕事は洗濯だ。私のところに限らずボンヌは洗濯物を抱えて帰り、自分の家で自分たちの服と一緒に洗濯をする。もちろん手洗いなのだが洗濯板はない。大きなたらいに水を張り、その中でピーナッツ油で作る石鹸を溶かし、両手で豪快にもみ洗いする。平素の村人は粗末な服装をしていることが多かった。しかしそれはきれいな服を買うお金がないからであって、基本的にとても清潔な印象を持った。洗濯の際も石鹸は惜しみなく使うし、これでもかこれでもかともみ洗いするので服地が伸びてしまうのが常ではあった。洗濯の後はねじって絞り、家の周りの塀の上にズラリと干す。乾いたあとはもし希望すれば炭を使うアイロンをかけてくれる。思うにあれほど服にとって苛酷な環境もないだろう。もみ洗いと強烈な紫外線に耐えうる服なんてそうそうあるものではない。
 ンバの仕事はあとひとつ、わたしが露天市場で買ってきた魚をうろこを取り、はらわたを出し、火を通すことだ。冷蔵庫がないので火を通しておかないと半日で腐ってしまう。彼女は掃き掃除と魚は週6日、洗濯はだいたい週1回の仕事を2年と少しの間淡々と続けた。 
 仕事柄、プライベートや防犯上のことに深くかかわってしまう家政婦との関係、またその人柄はその土地での暮らしを大きく左右する。結局2年と少しの間わたしの家は1度も泥棒に入られたことがなかった。犬を飼っていたことや、「盗られるものが何もない」、「殺風景」と言われた暮らしぶりも理由の一つだっただろうが、家を空けるたびにンバに毎日来て、戸締りその他を確認してもらっていたこともあったに違いない。
 いわゆる発展途上国と呼ばれる国で驚くことのひとつに、わたしは工業生産物の高さと農作物および人件費の安さがあると思う。ンバの場合、この仕事で月6000cfa(約1200円)だった。これは州都だと5割増、首都ダカールになると2万cfaあたりになるというが、はたしてこれは安いのかそれとも妥当な線なのか。
 私がまもなく村を離れるというとき、彼女をダカールに連れて行った。セネガルではお金は基本的に家長、つまりンバの場合はバカリじいさんが管理している。彼女の働きに対して昇給というやりかたもあるが、わたしは彼女個人に礼をしたいという気持ちだったのだ。幾人かから授けられた「おんなごころ」のアドバイスに従って、市場で布を選ばせ、服を贈った。
 いつも無口で淡々としたンバだったがこのときだけは歳相応の笑顔であったような気がする。

 

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