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「皿を割れた」と、なぜ言える?C
シンハラ語の態voiceをサンスクリットとの関係で読む
Khasya Report 2007-May-16 / May-22 Dec-11 2008-Jan-14 2009-Oct-06 2010-July-30
無意志動詞はinvolitive verbの訳語だ。シンハラ語文法ではニシュカルマ動詞とか、アカルマカ動詞と呼ばれる。無意志動詞の現れる文をニルットサーハカ文(無意志動詞文)と呼ぶ。
ニルットサーハカ文はシンハラ語の日常会話で頻繁に現れる。この文は自然と行為が起こることを表すのではなくて、何かが動作主(与格主語)に働いて、そのために動作主の意志とは関係なく行為が生じる事を表現する。
こう説明すると、ははあ、だからシンハラ人は無責任なのか、何をやらかしても自分の意志でやったんじゃない、と言うのはそういうことか、と早合点する人がいるかも知れない。だが、そこは少し違う。
日本語だって、私たちは普段意識しないが、ずいぶんと無意志動詞が支配する言語だ。「なる」と「する」という言い方で分ければ、「なる」で表現される言い回しのなんと多いことか。(動作主が「する」のではなくて、自然とそう「なる」。だから日本語もシンハラ語のように主格主語が殆ど要らない。
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シンハラ文法用語のニルットサーハカをチャールス・カーターのシンハラ語=英語辞典で引くとinvolitiveの訳語と共にdeponentという言葉も出てくる。このdeponentをシンハラ受験生必携のマララセーカラ英語=シンハラ語辞典で引き直してみる。そこで、マララの赤単でdeponentを引く。そこにアートマネー・パダatmanepadaという訳が載っている。そう、サンスクリットに興味のある方なら必ず触れるあのアートマネー・パダ。
| 態をあらわすシンハラ文法用語 k]Yy`x`vy
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アートマネーパダとは?
アートマネーパダはパラスマイ・パダparasmai padaと対になるサンスクリットの文法用語。
パダは「単語」を表すが「ことば/文」の意味でも使われる。サンスクリットはシンタックスのルールが希薄で構文論もない。「単語」と「文」は未分化で単語はそのまま文にもなる。だから、パラスマイパダは「動作主(文の主語)が動作主以外に動作/行為を働きかける単語」のことであり、同時にそうした作用を表す文をも指している。
シンハラ文法ではパラスマイ・パダをサカルマカ動詞sakarmaka kriyaava、サカルマカ文sakarmaka vaakyaaと呼んでいる。他動詞/他動詞文のことだ。
一方のアートマネー・パダはうまく日本語文法に収まる用語がない。英語にもないけど、日本語でも扱いに窮する。
アートマネー・パダは目的語を持たない。自己完結の動詞だ。パラスマイ動詞を他動詞とするのに準じてアートマネー・パダを自動詞とすることがあるが、そうするとすわりが悪い。
アートマネーパダは動詞の表す事態が動作主自身(主語)に及ぶことを表す。シンハラ語では動作主にとって動詞の作用・行為がニラーヤーサniraayaasaの状態(without effort / easy)にあることを表す。
nir-は「超越した」「乗り越える」あるいはただ「行くこと」を表す。ニラーヤーサは作為・行為を超えた状態。何かが導くこと。何かに導かれること。
シンハラ語のニルットサーハカ文(無意志動詞文)がニパータのTaを伴う与格主語を用いる訳がここにある。動詞の及ぼす作用は主語(動作主)が原因でないという印しをTaで表す。与格名詞で表すのだ。
英語のdeponent
deponent をテーマとするグーグル・グループのサイトsci.langでdeponentが話題になっていた。
| 1 | I opened the door with a key. | 私はドアを鍵で開けた |
| 2 | The key opened the door. | 鍵でドアが開けられた (鍵で開けられたドア) ×鍵がドアを開けた |
| 3 | The door opened. | ドアが開いた、ドアが開けられた ×ドアが開けた |
×印は文型からはそう訳せるものの文として意味を成さない例です。
これら三つの文で問題なのは3番目の「ドアが開いた」です。「ドアが開いた」という捉え方がdeponentであり、中動態middle
voice と呼ばれる態の表現法だからだ。
しかし、英語にはmiddle voiceがない。英語は「(誰某が/何かが)開けた」「(誰某に/何かに)開けられた」という表現はできても動作主が不在のままにただ「開いた」とは言えない。動作主が不在なら行為そのものが存在し得ない。 つぎの謎謎がsci.langの論争に加えられている。
Q;形は受動態で意味は能動態。なぁんだ? A;デポネント動詞
Q;形は能動態で意味は受動態。なぁんだ? A;自動詞
では、次の文の意味は?
I married her. A practical Sanskrit Introductory / Charles Wikner / 3B1
答えは一つではない。
答@ この言葉を花婿が言ったなら 「私は彼女と結婚した」。
答A この言葉を牧師が言ったなら 「私は彼女を結婚させた」。
@がアートマネーパダとしての訳、Aがパラスマイパダとしての訳です。
もう一問。今度はアートマネーパダとしての訳とパラスマイパダの訳を答えて。
She takes a good picture
答 @ 「彼女、写真写りがいいね アートマネーパダ。
A 「彼女、いい写真を取るね」 パラスマイパダ。
marriedやtakeは他動詞であり、自動詞でもある。そして、自動詞の中のデポネント動詞というややこしい三重性をも持つ。
英語ではアートマネーパダとしての意味を語形や文型から知ることはできない。
サンスクリットのパラスマイパダは語尾を-i形に取り(一人称)、アートマネーパダで-e形を取る。
シンハラ語の場合ではサカルマカ(他動詞)の動詞語幹語尾は多くの場合-a形、アカルマカ(自動詞)とニシュカルマ(無意志動詞)では-e形を取る。更に-e形をとるとき動詞の第一母音がa音であれば/a/音に変わる。
受動態をどう表現するか
シンハラ語には受動態がないとされるのですが、無意志動詞は受動態をカバーすることができます。
能動態 @h\ v#d kry]
へー ワェダ カライ
彼は/が 仕事を する
主格/主語 対格/目的語 他動詞・現在/述語
受動態 oh[@g\n\ v#d @k@ry]
オフゲン ワェダ ケレイ
彼によって 仕事は された (偶然に、彼も知らぬ間に)
奪格/主語 対格/目的語 自動詞/述語
中動態 oh[t v#d @k@ry]
オフタ ワェダ ケレイ
彼に 仕事は なされた (偶然に、彼も知らぬ間に)
与格/主語 対格/目的語 他動詞+補助動詞/述語
上の例は前出カルナティラカ「シンハラ語文法」の能動態・受動態の比較文例177ページに中動態を加えたものです。「によって」という助詞と無意志動詞が受動態を作る。本来、受動態のないシンハラ語は受動態を表す動詞の形を持ち合わせていないのです。
日本語と中動態
日本語の多くの動詞は中道態だ、と言う論もある。能動態も受動態も主語がなければ定義できないが、日本語では主語の外れることが多い。シンハラ語と同じように多くの表現が中動態でつくられるのは無理がない。
日本的な用語の「受け身」は中動態を良く表している。シンハラ人と話しているときにも、おそらく皆さんはもう感じ取っているだろうが、彼らは日本人以上に相手の態度に自分を合わせてしまう習慣を持っている。生活そのものが中動態なのだから、それが彼らの言語に波及しない訳がない。
W.S.カルナーティラカが中動態表現を作る無意志動詞をこう規定している。
| kr~w@g\ v]@X\S uw\s`hyk\ @n`m#w]v / kY]y` @v|wn`@vn\ @w`rv b`h]r @h|wO a`q]y n]s` i@b|tm @k@rn kY]y` n]r~w\s`hk kY]y` nm| @v|. |
| s]Ahl B`S` v&`krNy / db|l]v|.es\. kr#N`w]lk / gON@s\n / 2004 |
| (文が)行為者の特別な意志をまとわず、また、行為者の行為の影響を反映させずに外部の理由などによって偶然に行為がなされる事を表す動詞がニルットサーハカ動詞(無意志動詞)と呼ばれる。 |
| 「シンハラ語文法」p.178 / W.S.カルナーティラカ/グナセーナ社/2004 |
英語のように文を支配する主語は必要ない。動詞の行為を指図するのは言及されない何者かによることが指摘されている。
When you're gone という歌
When you're gone - Meの歌う When you're gone (away) が私はもっとも好きだ。英語に存在しないはずのdeponent動詞(自動詞の受動態)を歌のタイトルにしていて、その気分をMeの歌が最もよく表しているように思う。
Go という動詞は自動詞だから受動態は作れない。
でも、「あなたは去ってしまった」を完了形のyou have gone ではなく受動態のyou
are goneで表したのがこの歌。統語としてはナンセンス。だけど、このbe動詞+自動詞Goの二語のつながりが「自動詞の受動態」を作って、英語になかった無意思文を英語の中に新たに注ぎ込んでいる。
「あなたYou」は「去ってしまったare gone」けど、それは「あなた」の意志でそうしたのではなくて「なぜか分からないけどそうなった」。
日本のテレビでWhen you're gone を歌った歌手は眼張りギラギラの化粧だったけど、これはMeのようにシンプルな容姿で歌って欲しい。
今回のタイトル「皿を割れた」はシンハラ語の無意思表現をそのまま日本語に直訳したものだが、これでは日本語としてNG。「皿
が/は 割れた」が正しいのだけどシンハラ語は「皿が割れた」を「皿を割れた」と対格で言う。
シンハラ語と日本語は名詞に接尾辞(ニパータ/助詞)を付けて格を表し、動詞の語形を変化させて態を表す。シンハラ語と日本語は文が似ている。主語がいらないと言うことも同じだし。語族としては何のゆかりもない二つの言語が同じ統語形式や同じ意味を共有するとは。言語は普遍かも。
| 「皿を割れた」と、なぜ言える?@対格主語の場合 シンハラ語の受動態のこと |
| 「皿を割れた」と、なぜ言える?A与格主語の場合 無意志動詞と意志動詞 |
| 「皿を割れた」と、なぜ言える?B口語シンハラの主語と無意志動詞 |
| 「皿を割れた」と、なぜ言える?Cシンハラ語をサンスクリットとの関係で読む |
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