top page  索引index  シンハラ語  mail to かしゃぐら通信

2010-5-08 , 2011-2-05


漱石とコロンボのB ・I ・ホテル

 右の写真をごらんください。これは、セイロン,現在のスリランカですが、その第一の都市・コロンボのフォート地区にあるムダリゲー横丁の飲み屋兼食堂の前に掲げられた看板です。

 「B・I・HOTEL」とあります。ブリティッシュ・インディア・ホテルの略です。
 この名前を102年前,日記に「British India Hotel」と記し、「結構大ならず中流以下の旅館なり」と評した日本人がいて、それが誰あろう、あの夏目漱石。国費留学生として英国に向かった漱石は…当時はまだ夏目金之助という本名を名乗っていましたが…,

 漱石は1900年10月1日付けの日記に、このホテルで「名物のライスカレーを喫す」と書き残しています。

 もう一つの看板をごらんください ⇒。
 これはB・I・ホテルの現在のメニューを書きこんだものです。Today special(今日のお勧め) に「ライス・アンド・カレーrice and curry」が「鳥・レバー・魚・海老・牛・たまご」の順で並んでいます。カレーのメインとなる具を書き並べているわけ。
 ライス・アンド・カレーの下にあるのが「COURSESコーサス」。コーサスは酒を飲むときのサイド・メニュー。かなりボリュームがあります。更に下には「デビルドDEVILLED」とあります。これも酒のつまみで、かなり辛い。

  スリランカで”ホテル゛と言えば、それは多く゛大衆食堂”のこと。メニューはシンハラ語という現地の言葉で書かれるのですが,夜に飲み屋となるブリティッシュ・インディア・ホテルでは英国統治時代のメニューを英語で書いて、客を誘い込んでいます。漱石さんは此処で百年ほど前にランチを食べたんですね。
 
 B・I・ホテルは、この横丁で営業を始めて百年ほど。
 マネージャーのマール・セネウィラトナさんは、
 「今のビルに移って15年。その前はグローブ・ホテルで10年。わたしはフォートには40年住んでいるから、このあたりで知らないことはない」
そう言って,B・I・ホテルの沿革を語ってくれました。
  「B・I・ホテルは前の場所から移ったんだよ。近くのグローブ・ホテルの下に食堂があっただろう,あそこが前のB・I・ホテルだった」
 ビルを一つ隔てたところにグローブ・ホテルがあります。その一階が食堂になっていたのですが、そこではB・I・ホテルの看板を出してはいなかった。と言うより、時に違法営業をするものだから、営業停止を食らったり,また、1983年に始まるスリランカの荒れた時代には強制的に営業を抑えられもしました。

 しかし、スリランカの事情が変わった。スリランカ自由党から連合国民党を中心にする内閣に先の選挙で゛政体゛が変わり、この9月にはタイで平和交渉が持たれたものだから、急に経済活動が自由になりました。民族紛争を起していたタミルの過激政党もテロから議会政治重視へと方針を変えたので治安が安定し、経済が活発になった。食堂兼飲み屋のB・I・ホテルが看板を掲げて”復活゛したことの背景にはそうしたスリランカの平和構築への新しい動きが背景にあります。

 ムダリゲー横町では、夜になると、「B・I・Hotel」と書いた大きな看板が道端に現れて、”名物のカレーライス”と地酒”アラック”を売る飲み屋になる。サラリーマンのオアシス。
 でも、何かさびしい。そこだけ明かりがまぶしいからだ。この横丁では外に開いている店がないのです。近くには大統領官邸があって軍が道をさえぎって警備している。店を出たら酔いが醒めるなあ。

 「じゃあ、以前はグローブ・ホテルがB・I・ホテルだったんですか」
「そうだ。しかし、創業は別のところだった」
「ええ〜、それは何処?100年前、B・I・ホテルがあった場所に尋ねていきたいんだけど」
「ふううん」
「なんせ、ソーセキさんという日本の名高いカクル(作家)が、若いときにこのB・I・ホテルで食事しているんです。ソーセキさん、カレー好きだったから」
と説明したけど、マネージャーのセネウィラトナさんにソーセキの名は通用しなかった。カワバタ・ヤスナリぐらいまで来ると通用するんだけど。
 カクルは「作家」を指す上品なシンハラ語だから、私がどれだけソーセキさんを見上げているか、それだけは通じたとは思うのだけど。
 「4年前だけど、ぼくはグローブ・ホテルでチキン・コーサスを注文してアラックを飲んだんだ。百年前のソーセキさんになった積もりでね」
 「あんた、いろいろと知っているようだけど,私はあんたを見たことがないぞ。グローブ・ホテルのときにも私は居たはずだ」
 「尋ねたのはただ一度。私は常連の呑み助じゃないもの、出会えなかったのですよ,セネウィラトナさん。今回は、昨晩カトゥナーヤケ国際空港に着いて、そのままコロンボに来てタプロバーンに泊まって、今日はすぐにここへ遣って来た」
 と説明したけど、気になるのは昔のBHIの場所。
「それより、何処なの,むかしのB・I・ホテルがあったのは?」と訊いた。
 「それじゃ,教えてやるか。ついて来なさい」と、かれはマネージャーの席を離れる。焦らすなあ。
 セネウィラトナさんは細身のからだを翻して暗いムダリーゲ横丁へ飛び出した。あわてて後を追った。

 ●「おかしな日本人はあんたで二人目だよ。もう二十年ぐらい前だが,グローブ・ホテルに日本人が一人泊まったことがある。二日間も部屋に篭もったきり出てこない。そういう青年だったよ。かれはひどい下痢をしていてね。車で病院へ連れていってやったんだ。名はなんと言ったか,そう、タケシだった」
と話ながら,通りの左隣のビルを顎で酌って、
「グローブ・ホテルがそこにあるだろ。。その向こうの、土嚢の積まれた処の脇がB・I・ホテル発祥の地だ」
 現在のB・I・ホテルから100メートルも離れていない。同じムダリゲー横丁の奥に漱石が訪ねたB・I・ホテルの発祥地があった。
 そこには今、建築途中のビルが建っている。でも、丁度そこが大統領官邸の警戒区域という事で、土嚢が積まれ道をふさいでる。銃を抱える兵士が24j時間体制で警護している。

 陽がとうに沈んでしまって、あたりは暗闇の中。大統領官邸の木立も漆黒に染まって、もう何も見えない。それが熱帯の夜だ。
 土嚢の上に動く気配がした。ニャアと鳴いた。子猫だった。
 ははあ、もしかすると酔っ払って風呂に落ちた漱石の猫の亡霊が、
「ここにようこそ。あなたも名物のカレーを食べに来たの」
と迎えてくれたかな。



関連 「あの人の愛したカレーライス」雑誌サライ1993年No19
B・I・ホテル
「ブリティッシュ・インディア・ホテル」(B・I・ホテル)の看板。2002/7/5 撮影)


B・I・ホテル
B・I・ホテルのメニュー。漱石が食べたのはここの名物に違いない。




B・I・ホテル
ここが入り口。昼も営業しているが、夜になると煌煌と明かりがともる。


参考/『南の島のカレーライス』
南船北馬舎










↓  ムダリージ横丁。漱石の行った初代のB・I・ホテルは、すぐそこ。でも、この奥には大統領府があるので治安上、写真撮影が禁止されていた。
 漱石の行った初代のB・I・ホテルは「撮影禁止」の画面の中。











参考/『南の島のカレーライス』
南船北馬舎