| オリジナル小説「夢追人/ゲイルの回想」 |
■緑王
■ゲイルの回想 港町ウィードは、貿易が盛んな近代都市である。 オーク海を見渡せる波止場に立つと、停泊している大小の帆船からせわしなく貨物の積み下ろしをしている船員達の光景が、馬の手綱を引くゲイルの眼にも飛び込んでくる。 露天市場では、船から卸されたばかりの魚介類、果物、小麦、貴金属のアクセサリーなどが所狭しと陳列され、商人達の手により次々と売りさばかれていく。 港はそんな人々のさんざめきで活気に溢れていた。 ゲイルはその間を縫うように横切る。 波止場から少し離れ歩を進めると、石畳の狭い道が迷路のように続く。 その道の両脇には、石造りの民家に宿屋、飲み屋、職人の店が軒を連ねている。 ゲイルは馬の背に乾燥させた薬草を詰め込んだ大袋を担がせ、その入り組んだ細い道を奥へとすすませた。 【アルカンドラ】という看板が掲げられている店の前まで来ると、馬から荷を下ろし手綱を杭にくくりつけ、店の中へと入っていく。 「ゴリ、いるか? わたしだ、ゲイルだ。頼まれていた薬草を持ってきたぞ」 香をたくけむりが鼻腔をくすぐる。 薄暗い店の奥から人の動く気配がした。 「すまんな。この頃じゃ腰の調子が良くなくてな」 小柄な白髪老人が、ゲイルから袋を受け取りながら答える。 ゴリと呼ばれるこの老人も魔道師の一人だ。 彼はゲイルが魔道を極めた者だということも、また、その身分を退けた者であるということも知っていた。 「お前さんが、急に魔道の世界から身を引くなんて、考えもしんかったよ。はっはっはっ」 ゴリは呆れるでもなく、ただ可笑しいとでもいうようにからからと笑った。 嫌みのない笑いだ。 「そのことは、すでに説明したはずだ。ゴリ」 老人は笑いながらもゲイルに薬料を支払うと、今度は真面目な顔で言葉を続けた。 「知っているとも。 お前さんは、安死術への皆の偏見が気にくわんのだろう? 魔道師といえば、民衆はすぐ安楽死を望むんだ。 医師に頼んだところで治らん病気を抱え込むより、楽に死ねることを要求するのさ。 やつらはそれを、死への潔(いさぎよ)さと勘違いしてる。 俺んとこにも、月に二〜三人はその手の頼みが来るぜ。 もっとも、俺さまはお前さんとは違い、快く引き受けるがね。 この世は金がなきゃ生きていけねぇ」 ゴリは顔をしわくちゃにしてゲイルにウィンクする。 「私は、ただ安死術ばかりが難病・奇病患者の救いとは思えないだけだ。 今すぐは無理でも、必ずそれらにも効く処方薬があると信じている。 そのために薬草の研究をしているんだ……」 「ほほう、賢いお前さんのことじゃ、いずれは不治の病に効く特効薬も調合できるかもしれんのう……」 そうじゃ、こやつなら不可能を可能にすることも夢ではないのかもしれん……。 暗涙にむせぶ家族達の心にも、希望の光が差すだろう。 この若くして才知に長けた青年の瞳に、老人は確固たる信念を読みとる。 「そりゃそうと、お前さん。こんな噂を耳にしなかったかい?」 「何の噂だ?」 老人に差し出された椅子に腰掛けると、ゲイルは怪訝そうな顔で尋ねる。 そんな彼にゴリは耳を貸せ、と指で合図する。 「何でもウィードじゃ今、魔道師達が続けざま神かくしにあっているそうなんじゃ。 それがまだ下っ端の魔道師見習達がじゃ。 これはきっと何かあるぞ」 「このウィードで不穏な動きがあるというのだな。 私は知らないぞ。その噂はデマじゃないのだろうな?」 老人は肩をすくめると、仕草で嘘ではないよ。と、ゲイルに伝えた。 (ゴリの情報網はこのウィードの街全体に及んでいる。 でどころも確かだ。デマでないのは、わかっている。 しかし……何がこの街で起こっているのだ?) 「聖魔道師協会は、何も云ってこないのか?」 小声でありながらも、ゲイルのよく通る澄んだ声が、老人の耳元でささやきかける。 「そうなんじゃ、真っ先に気づいてもよさそうなものなんじゃが、うんともすんとも連絡がこん」 (それはおかしい。モルグはどうしてる? 彼の耳にも入っているだろうに。それとも、この問題に何かが絡んでいるのか……) 「ほほう、気になるかのぉ、やはり」 気にならないといえば嘘になる。 ゲイルは苦笑することで応えた。 「ただごとではないんで、お前さんの耳にも入れといた方がいいと思ってな」 「そうだな、確かに聞き捨てならない内容だ…… 事と次第によっては私にも関わる問題かもしれん」 ゴリ老人に聞けば、街内外の情報は大抵手にはいる。 そういった意味で、この店は魔道師達のコンタクトの場でもあった。 ゲイルは今、聖魔道師協会を脱会しウィードの隣村ミミックで薬草の研究をしながらひっそりと暮らしている。 ゴリ老人は、彼の唯一信頼できる情報源だった。 「長居をしたな、ゴリ」 そう告げると、身支度を整え戸外へと歩みでた。 一足後れゲイルを見送るため馬の所までやって来た老人が、杭から手綱をほどこうとしている彼に言葉をかける。 「気をつけなされ。 お前さんはすでにこの問題に首を突っ込んでおる。 魔道の世界に戻る日もそう遠くではあるまいて」 彼の前途が決して平坦な道程でないことは、老人にも予想がつく。 そんな未来を案ずるかのようにゲイルの腕に軽く手を触れた。 それに応えるように、ゲイルも白髪老人の筋張った手の甲に自ら手を重ね、わずかな笑みを浮かべ大丈夫だと知らせる。 ゴリと別れの挨拶を簡単に交わしたゲイルは、馬のあぶみに足をかけると軽い身のこなしで馬に跨り手綱を手にした。 ウィードには、聖魔道師協会の本拠地がある。 このことは聖剣を所有するごく一部の王族と魔道師達の間でのみ、脅威的権力を保持する組織として知られていた。 協会内部はいくつかの部門に分かれており、在籍していた頃のゲイルは、そこの教育部門を担当していた。 初級クラスから上級クラスまで会得するにはかなりの年数を要する。 しかし、少年期の時点ですでに魔道全般をマスターしていた彼は、その才能を買われ、指導員として協会に随分貢献していたのだ。 聖剣管理部門のモルグとは、長いつきあいになる。 馬に乗ったゲイルは、ゆっくりとした歩調のリズムを鞍の下に感じながら【アルカンドラ】の主人ゴリから仕入れた情報を吟味していた。 (神隠しにあったという見習い魔道師とは、きっと協会の弟子達に違いない。 何の目的のために……?) 「ゲイル先生じゃないか? 久し振りだなぁ」 突然背後から声をかけられ、誰かといぶかる。 「あぁ、サージか。こんなところで何をしている?」 サージはゲイルが協会にいた頃の教え子である。 クリーム色の髪に淡いブルーの瞳を持つ、ひょろりと背高な好青年だ。 「おれは、上級クラスを卒業して店を開いたんだ。 これから、安死術の依頼で患者の家に向かうとこさ。 そうだ先生、何も用がないんだったら見に来ておくれよ。おれ、上達したんだぜ」 「……安死術、その病家は何処にある?」 「その道を右に曲がってすぐそこさ。 何でも、兄妹の妹の方が原因不明の病気らしい…… 医者からも見捨てられたんだそうだ」 「そうか、よし。お前の腕前とくと拝見させてもらうぞ」 その言葉とは裏腹にゲイルの眼が曇る。 サージは自分の腕をゲイルに披露できるとあって、少し誇らしげな態度で石畳を歩いていく。 【アルカンドラ】から程近しいところにその病家があった。 目印であろう黒い布切れが棒に縛りつけてあり、磯の香りを含んだ風にはためいていた。 狭い石の家にはいると、患者の両親と兄とおぼしき一人の若者が待っていた。 母親の方は憔悴(しょうすい)しきっており主人の肩にもたれている。 父親も必死に理性を保っているようだ。 「私が魔道師サージです。後ろにいる者は同伴者のゲイル……。 患者はどちらに?」 サージがゲイルの顔色を窺いながら名のる。 ゲイルは別段気にするでもなくサージの背後で、この親族達の様子を観察していた。 家のなかは強い香の馨(かお)りが充満している。 「こちらの部屋に妹がいます。…私は兄のセトです」 よどみのない声で応えたのは、先程の黒髪の若者だった。 窓から差し込む陽の光に黒い瞳が輝く。 小麦色に焼けた均整のとれた躰に、船乗りの身なりをしている。 彼に案内されとなりの部屋に足を踏みいれた瞬間、寝床に仰臥(ぎょうが)している娘の姿に固唾(かたず)をのんだ。 寝床とは名ばかりのワラを敷きつめ白いシーツが覆われているだけの簡素な場所に、彼女は白い装束を身につけ横たえられていた。 この日のためにしつらえられた白い装束やシーツには、痛ましい茶褐色のシミが点々とにじんでいる。 「妹は全身皮膚がただれ、部分的に骨が露出しています。 医者に診せましたが原因不明と云われました。 すでに食物を受けつけなくなって4日になります」 娘だったらしいその面影は、漆黒の長い髪をのぞけば性別の識別もあやしい。 髪は母親の手できれいに結われており、小さな花で飾られていた。 小柄な躰から察するにまだ年端(としは)もゆかぬ少女のようだ。 サージもゲイルも言葉を失う。 (これでは、手遅れなのも無理はない……安楽死は必須だろう) ゲイルにも手の施しようがなかった。 「妹君の名は?」 ゲイルがセトに尋ねる。 「ナジェです」 「では、ナジェに最後の別れを……」 ゲイルに促され、母親と父親が娘の前まで進みでて別れの言葉を告げる。 娘は……反応しない。 ただれたまぶたは開かれない。 母親はナジェの髪を愛しげに何度も撫でた。 ナジェと同じ漆黒の髪を束ねた兄セトも両親に続き別れを告げる。 「ナジェ、お前はいつまでも私のかわいい妹だぞ…」 かすかにナジェの頭が動いたかに見えた。 おそらくナジェの最後の意思表示なのだろう……それから二度と動くこともなかった。 「では、彼女に永遠の眠りについてもらいます」 サージがそう告げると、皆、彼の背後へと身を引いた。 サージは安死術の準備にはいった。 用意してきたロストの粉を水と一緒に娘の口に含ませ、そして呪文を唱え始める。 ロストの実をすりつぶした粉は、意識をなくす薬だ。 患者によっては正気の者もいるため、必ずこの薬を用いてまず患者の意識を絶つ。 それから魔道の術で命を絶つのだ。 しばらく、サージの詠唱は続いた。 彼の様子を皆が見守る。 「終わりましたよ」 サージが淡々とした口調で儀式の終了を皆にしらせる。 ナジェの断末魔の叫びは響かなかった。 静かな眠りに導かれたまま、小さな命の灯はこの世からあっけなく消えたのだ。 狭い部屋に遺族の微かな嗚咽がもれる…… ゲイルはサージとともに、オーク海を見渡せる丘で軽い昼食をとっていた。 二人はあれから死人を弔う者達と入れ替わるようにして石の家を後にしたのだった。 ナジェの遺体は野辺焼きにされ、葬られるはずだ。 病死した者は土葬には出来ない習わしなのだ。 二人の手には市場で買ったラム肉のサンドが口もつけられず握られていた。 「なぁ先生。あの少女に安死術は必要だったんだろうか……?」 「……あのままの状態が続けば、やがて死が訪れるのも目に見えている。 なのにどうして、わざわざ死期を早めるようなことをしたのか不思議なんだろう? どうした? あの少女を目の当たりにして、気持ちが揺らいだか?」 「…………」 「魔道師はいかなる時も平静心を保つべし。 そう、教えなかったか? 魔道師にだって感情はある。 だが、それをコントロールできねば魔道の術にも影響する。 複雑な魔法であればあるほどささいな気の緩みが術にも反映するのだ。 サージよ、これからそれを学んでいかねばならぬな……。 まぁ、少なくとも今日のお前の働きぶりは立派だったぞ」 「…ありがとう、先生」 心の奥にくすぶる何かを感じたが、サージはゲイルの励ましの言葉を素直に喜んだ。 元気づいたサージはラム肉のサンドを口に頬ばると、 ふと、灰色のけむりが流れている丘の頂に視線を移した。 ゲイルもそれに気づいてはいたが、口には出さなかった。 ナジェの遺体が野辺焼きにされているのは、すでに明らかである。 今更そのことを口にするのはためらわれる。 二人は静かにそのけむりの行方を見守った。 |